爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「桂東雑記拾遺」白川静著

漢字学者として著名な白川静さんの随想集が桂東雑記で、5巻が発行されていますが、それに載せられなかった短文をまとめたものがこの拾遺です。
いろいろなところに発表されたものですが、古いものは1950年代から、新しいものは2000年以降の逝去寸前のものまであります。

白川博士のもっとも大きな業績は甲骨文字や金文から漢字の本来の意味を再構築したというものですが、それ以外でも日本の万葉集などの古代詩歌と中国古代の詩経の共通性の主張もあります。
本書のなかにも、万葉集に良く見られる「見れど飽かぬ」という文句がその奥に「見る」という行動の中に隠された真の意味である呪い(まじない)としての行為があり、それは商(殷)代以前に見られた戦争の際の巫女(媚)数千人が敵方を見ることで呪いをかけるという行為とも共通という記述があります。
中国の周時代にまとめられた詩経はそれ以前の古代歌謡をまとめたというものでありながら、それ以降は政治的にも儒教的にも違った意味を付けられて権威化されたために本来の意味を隠されてしまいました。万葉集と比較することでそれを明らかにできると言う立場は正しいものでしょう。

戦後の漢字改革では多くの文字が簡略化されてしまいましたが、そこに字源的な考察がまったく加えられなかったために、本義を完全に失ってしまったものが多くあるようです。旧字では「犬」の字を含むものが、多くその点を取り払われて「大」となってしまいましたが、(突、戻など)それは「犬」だからこそ語源的な意味があったものであり、「大」では何の関連性もなくなってしまいました。
「犬」というのは単なる家畜やペットではなく、呪術的には大きな意味を持つものであり、生贄としても多く使われました。「犬」を含む漢字というのはそのような呪術に関係するものが多いようです。

桂東雑記本巻の方は読まずに、まず拾遺から読んでしまいましたが、そのうちにそちらも読んでみようかと思います。