爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

エネルギー文明論「原油の埋蔵量」

原油の生産がピークに達したかどうかということは統計としては(生産国がごまかしていない限りは)はっきりとつかめますので、その時は明確ではなくても少し時が経てば「あのときがピークだった」というように認識できるものでしょう。
しかし、原油の埋蔵量というのはそれほど明確なものではありません。原油と言っても従来型の液状のものばかりではなく、オイルサンドとかオイルシェールなどと言った固形化したものも含むようです。
概数ですが、これまでに人類が消費した石油というのは1兆バレルだそうです。これに対して総埋蔵量(消費した量を含めて)は色々な数字があり、2兆バレルという説も、3兆バレルと言う説もあり、極端な数字では7兆バレルと言う数字まであります。
2兆バレルとするなら、そのうち1兆バレルをすでに消費していればあと半分しか残っていませんので当然生産量は頭打ちとなりすでにピークは過ぎたということになります。しかし、7兆バレルならばまだ当分はありそうです。
実はこの辺のところは数字の考え方自体がかなり曖昧なものであるためのようです。どの範囲までを石油と考えるかを曖昧にしたまま量を言っても仕方がありません。
これまでの意味での「原油」は相当少ない数字のようです。つまりこれまでと同じような形態で使える原油はすでに半分を使ったと言えるのかも知れません。
その一方で、オイルサンドのような形態の油分はかなりの量に上るものと考えられます。

ここで考えなければならないのが原油からガソリンや軽油など、様々な製品を取るのに必要なエネルギーです。ここでEPR(Energy Profit Ratio)という考え方が必要になってきます。原油が油田にあり、それを採取して使用地まで運び、精製して各種の製品とし流通させて使用するまで、各所にエネルギーを費やす必要があります。現在までの良質の原油の場合は極めて低いエネルギー投入量で製品を得られました。ごく初期の自噴していたような油井の場合だと、この比率が100:1(得られるエネルギー100に対し使われたエネルギーが1)と言った非常に効率的なこともあったようですが、現在では20-30に低下しているそうです。これは油田の噴出量が少なくなり、海水を注入して圧を掛けなければ出なくなったというような例や、深い油井が増えたということや、海底油田が多くなったということが影響しているためです。
しかし、オイルサンドのような固形化した油分の場合はさらに掘り出すのに機械力が必要となりその燃料が必要になるに加え、油分を分離するために高温水蒸気を吹き付けるといった処理が必要となり、さらにエネルギーを使う必要があるようです。EPRはさらに低下してしまいます。ここで、EPRが1以下になったらどうなのでしょう。エネルギーを投入した量より得られたエネルギーが少ないということです。これではまったく意味がありません。
しかし、現在さまざまな研究開発がされている新エネルギーと呼ばれるものの中にはその値が非常に低いものもあるようです。それは単に技術開発が進んでいないからで、今後改良が進めば現実的になるという希望的観測が必ずなされていますが、それが本当に可能かどうか、またその判断はいつまでに行われるべきかなど全く明らかにされては居ません。私企業が自らの資金で勝手に進めるならどうでも良いことですが、多くの開発計画には国の補助金支出がされており、その妥当性を評価されることもありません。

このように、原油の埋蔵量というのは考え方によってかなり差が出るものですが、確実なのは「簡単に安価に生産できるものから使っている」ということです。これまでの1兆バレルは特に生産コストが安いものばかりでした。それがどんどんとコスト高になってきます。あと1兆バレルを使い果たす頃にはさらに高価なものになっていくでしょう。それはエネルギー収支からというだけではなく、当然経済収支も合わないほど高価なものになるでしょう。そうして、地球上に油分を相当量残したまま石油文明と言うのは終わってしまうであろうということは間違いないことです。