「ブラック校則」といったものが話題となりますが、学校において行われる生徒指導というものは多くの問題を含んでいるようです。
「学校での生徒指導」という、至って普通のことのようなものの中に、どのようなものが含まれているのか、高校で長く生徒指導に携わり、現在は大学で教員志望の学生を教えている著者がその経緯や現状を詳しく解き明かします。
著者が現在指導している大学の学生たちに高校までの生徒指導について聞いてみるとほとんどが「厳しい」「怖い」「うるさい」「面倒くさい」「細かい」といったイメージを持っていることが分かります。
彼らも数年先には学校で教員として生徒指導に当たることになるのですが、そういったイメージを持ち続けたまま自らも教職につくのでしょうか。
生徒指導ということについて、文科省が定めた「学習指導要領」にはほとんど記述がありません。
その下位文書である「生徒指導提要」というものには、「生徒指導は生徒の人格を尊重し、個性の伸長を図る」とあります。
しかし、現実にはそのような生徒指導などは学生は受けた覚えがなく、教師はやったこともないというものです。
生徒指導などと言われるものも、実は「問題行動を取った児童生徒」を「懲戒する」というものがその実態です。
問題行動、すなわち授業中の私語・居眠り等から始まり、遅刻早退、無断欠席、教師への反抗などなどに対し、注意・叱責・居残り・別室指導・立たせる・正座させる等(ただし体罰は禁止されている)のペナルティーを科すことが懲戒であり、実は学生たちが生徒指導と認識していたのはこちらだったようです。
懲戒にも懲戒的側面と指導的側面がありますが、「事実行為としての懲戒」はほとんどすべての教師が日常的に児童生徒に対して行っているものの、おそらくほとんどそれを懲戒であることを認識しないまま生徒指導あるいは教育的指導として行っているのです。
体罰は明確に禁止されているにも関わらず、まったく無くなる様子も見せず時折大きな事件が起きてニュースとなります。
2012年大阪市立高校で体罰を日常的に受けていた男子生徒が自殺しました。
これに対し文科省も体罰の禁止を徹底するという方針を見せています。
しかし体罰というものが指導と懲戒のグレーゾーンで行われているためなかなか無くならないものなのでしょう。
また教師と児童生徒との間に、「教育的権威による関係性」というものがありますが、これを揺るがせるような児童生徒の指導拒否という姿勢があると教師のアイデンティティが危機に陥ります。
児童生徒が指導拒否を起こした時「お前、オレ(教師)をなめてるのか」「なんでオレ(教師)の言うことがきけないんだ」となり、暴力に走ることになります。
この児童生徒の指導拒否という姿勢は教師として最も恐れる事態であり、体罰の原因ともなっています。
生徒指導のブラック化という点では、1980年代に激化した学校が荒れたという状況が深く関わっていました。
それに対するには生徒管理を強化するしかないと考えた教師たちが有無を言わせぬ生徒支配に走りました。
著者が大学を卒業し北海道の高校の教員となったのが1980年ですが、ちょうどその頃に校内暴力というものが最高潮になっていました。
実はそれ以前も不良少年というものは存在していたのですが、その活動場所は学校外であり学校の中ではありませんでした。
1965年に文部省が発行した「生徒指導の手引き」にも校内暴力などと言う項目はありませんでした。
それが初めて現れたのが1979年でした。
それは器物損壊に始まり、生徒間暴力からさらに対教師暴力へと広がっていきました。
それに対し教師の側からの対抗策が管理強化だったのです。
暴力に対しては警察の導入も行われるようになりました。
さらに指導は細かい点から始まるとばかりに頭髪や服装などすべての事項に対して教師の指導に従わないこと自体が反抗だとしてさらに管理強化を進めました。
ただし、管理主義は校内暴力への対抗策だったというのは一面的な見方であり、実は管理主義が強化されたことにより校内暴力が激化したという面もありそうです。
この時期は高校生の生徒数が非常に増加した時期でもあり、新設校が全国に多数開校しました。
こういった新設校は校長の指導力が強いこともあり、特に管理主義に強く向かった高校も多かったようです。
当時「西の愛知、東の千葉」と呼ばれたように管理主義の中心となったのが愛知県でした。
その中でも東郷高校という学校は全国の新設校のモデルともなるほどの管理主義徹底の学校だったそうです。
しかしその後、教師の「指導」で自殺などに追い込まれた生徒が出てきたのもそういった学校でした。
岐阜県立岐陽高校での修学旅行体罰事件、兵庫県立神戸高塚高校での校門圧死事件などはどちらもそういった新設校でした。
懲戒的なものであっても教師たちはそれが指導だと信じ切って行ってしまう。
学校でのブラック指導で大きな部分を占めるのがやはり部活でしょう。
実は部活というものは学習指導要領の中でもはっきりとした規定もありません。
もともとは児童生徒が自発的にとりくんだ「自由研究」というものから「クラブ活動」となりさらに「課外クラブ」となっていったものです。
本来は自由な意思で参加するものでしたが、徐々に生徒全員参加、教師全員顧問といった形にされてきました。
教師は顧問といっても残業手当も休日出勤手当も無しのボランティア同様です。
ただし、顧問という名前ですが、実体は指導者兼監督兼コーチ兼マネージャーで、すべてを一人に集中させた独裁者となっています。
そのため暴力的な体罰が日常化し、自殺事件も相次いでいます。
こういったブラックな生徒指導がいつまで続くのでしょうか。
やはりホワイト生徒指導というものに変えていかなければならないのでしょう。
管理主義強化の際に言われることで「社会で許されないことは学校でも許されない」ということがあります。
しかし実態は子供の行動をそれで規制しようとしても、「社会で許されないことを学校でやっている」のが教師の行為であることが多いようです。
「子供の権利条約」というものがありますが、日本は批准が遅れました。
それにはこれに消極的な勢力があるからです。
その一つが学校現場でした。
そういった学校関係者がブラック生活指導の推進者と重なるのでしょう。
やはり「子供の権利」を守るという考え方をかみしめるべきなのでしょう。