爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「芥川賞直木賞秘話」高橋一清著

文芸作品に贈られる文学賞は数多くありますが、中でもやはり芥川賞直木賞は格別のものでしょう。

選考の発表があるとテレビニュースや新聞記事にもなり、受賞者についても報道されることが多いようです。

 

著者の高橋さんは文藝春秋に入社後すぐからこれら賞に関わり様々な仕事をされてきました。

やはり権威ある文学賞ということで、候補となる人たちもかなり思い入れの強い場合もあり、様々な人間劇が繰り広げられたようです。

 

その中から、おそらく書いても差し支えないものを選んで?書かれた本です。

 

受賞者を決める最終審査は委嘱した審査員が行うのですが、それに掛ける予備審査は社内選考委員会で選ぶそうです。

それが決定した時点で候補作としてよいかどうか、著者に確認するのですが、高橋さんの記憶に残る「候補とされることを断った」人が38年の間に二人いたそうです。

一人は富岡多恵子さんで、昭和49年の選考委員会で候補となったものの、本人に確認したら「もうええ」という一言で断ったとか。

芥川賞直木賞といえどやはり文学界にデビューして間もない人をほとんど対象としているので、もう長く書いているという自覚があったということでしょう。

もう一人は昭和40年に候補となった藤沢成光さんですが、当時まだ高校生だったとか。

御父君が直接断りに来て「人生の未熟者がこのような扱いを受けては将来ロクな事にならない」と話したそうです。

 

最終審査会は新喜楽という料亭で実施するのですが、ここは政界の会合にも使われるところです。

口が堅く一切情報が洩れる心配が無いということが確実だそうです。

著者の高橋さんが関わって新喜楽を訪れた審査会が52回あったそうですが、その会場の床の間にかかる掛け軸は一度も同じものは無かったそうです。

それについて新喜楽のご主人に礼を言ったら、毎回のしつらえ、料理品書き、仲居の名前、審査員の先生方のタバコの銘柄、酒の好みから掛け軸まですべて書き留める台帳があるということを教えられたとか。

 

直木賞は流行の作品が対象とはいえ、長くミステリーやSFといった分野の作品は相手にしてきませんでした。

ミステリーの場合、やはり主眼は謎解きとなるので、登場人物の性格描写や人生といったものには深入りしないものです。

それを求める審査傾向である以上、ミステリーと言われる分野のものは対象外とされてしまいます。

陳舜臣さんも昭和43年に直木賞を受賞していますが、これはそれまでミステリー色の強い作品の多かった陳さんに別冊文藝春秋編集部が直木賞受賞をねらって傾向を変えた作品を依頼し、それが上手く当たったそうです。

その結果、その後の陳さんの執筆傾向も変わってきました。

SF作家では筒井康隆さんが3度も予選通過をしたのですが、やはり最終選考では選考委員の壁を打ち破ることはできませんでした。

その復讐?のために「大いなる助走」というドタバタ劇を書くのですが、それは某文学賞を舞台に落選した主人公が選考委員を殺して回るというものでした。

さすがにこの作品を別の場所で載せるわけにはいかず、別冊文藝春秋に掲載したそうです。

 

最近の受賞者は女性や若い人が増えるなど少し傾向も変わってきたようです。

それでも当分は権威ある賞として続いていくのでしょう。

 

 

「再生可能エネルギー」とやらが増えるほど寒波の時の電力供給が不安に。あたりまえだけど。

10年に一度とも言われる強力な寒波の襲来で、電力需給も不安が増しています。

特にオール電化などと言う愚かなことをしてしまった人は停電は生命の恐怖でしょう。

そんな状況では太陽光発電などはほとんど役にも立たないという当然の話です。

www.yomiuri.co.jp

太陽光発電は夜間はまったく発電できないのは当たり前ですが、悪天候時にもそうでしょう。

特に冬期の大雪の時にはほとんど期待もできません。

 

そういった気候の時には家庭の暖房需要で電力需要が高まり、この時期は特に北日本では電力需給の逼迫に襲われます。

 

上記の記事は、そんな時には火力だけが頼りということを今気づいたかのように書いたものです。

 

しかし実際には「そんな時」だけではなく「いつでも」火力だけが頼りというのが本当のところでしょう。

 

太陽光や風力は電力使用者から強制的に取る賦課金目当ての金の亡者の打ち出の小づちでしょう。

それに頼るということなどできないのに、頼みの綱の火力発電を新設もできず老朽化したものを廃止してますます危機を招く。

 

寒いのに暖房もつけず凍えながらこれを書いています。

手がかじかんでミスタイプ連発です。

kame710さんの記事「軍事費増大は戦争の危機?は杞憂か」を受けて

ブログ「 カメキチの目」でkame710さんが頭書のような表題で書かれていました。

kame710.hatenablog.com

私の見たところ、杞憂どころかすぐそばにまで近寄ってきた戦争の危機だと感じます。

 

それはなぜか。

カメキチさんも時代劇でおなじみの「用心棒」に例えていましたが、用心棒もかなりの報酬を払わなければなりません。

払いが悪ければ下手をすると居直り強盗に変じると言った様子も良く描かれているようです。

こういった例は新興国の軍隊のクーデターなどでよく見られるものです。

 

ならば十分な報酬をしかも数多くの用心棒に払っていく方が良いのか。

戦国時代を描いた七人の侍などの映画のように、盗賊団がしょっちゅう襲ってきて金を奪い人を殺していく状況ならばそれも必要でしょう。

しかしそこまで危機が迫っていない状況なら、盗賊団が相手ではなく近所でも仲の悪い家との小競り合いのための武力(用心棒)となるのでしょう。

乱世の盗賊団なら絶対悪とも言えるでしょうが、同じような立場の近所の家との抗争に使う用心棒は何のためのものでしょう。

 

どうも現在の危機意識を煽るやり方も、ご近所の家を盗賊団のように見せかけ、用心棒を増やしたいかのように見えます。

 

用心棒の報酬というものは、どうやらかなり高くつくもののようで、普通の使用人の給与の何倍も払うほどのものです。

そんな用心棒を何人も抱えていれば本業の儲けもどんどんそれに吸い取られてしまいます。

守るべき財産も擦り減らして消えていきます。

もはや、何のために用心棒を雇っているのかも分からなくなっていきます。

 

そのうちに、用心棒代を少しでも取り戻そうなどという考えを持つ者も出てきます。

誰かが襲ってくるときのためだけでなく、用心棒を使って近所の家に押し入り強盗をしてこようなどということを始めるかもしれません。

 

変なたとえにしてしまいましたが、軍備は完全に防衛のためならば使わないのが最良であり使うような事態になれば大変なことです。

「使わないのが最良」のものに多額の予算をつけて国費を注ぎ込むとはなにか。

金を捨てているようなものです。

それも国内の軍需産業に金を回すならまだしも、アメリカの兵器を買うだけであれば金も国内には残らずアメリカに上納するばかりです。(それがこの騒ぎの最大の裏事情なんですが)

結局は貧しくなっている日本をさらに貧しくするばかりでしょう。

そうなるとさらに「使わない軍備を有効に使おう」などという勘違い連中が力を増してくるかもしれません。

 

戦争は絶対にやってはいけないなどということは普遍的な真理ではありません。

日本でも日清戦争の勝利で得た巨額の賠償金はその後の国の進路を誤らせるほどのものでした。

日本は第二次大戦で完膚なきまでに敗けたのでもはや「戦争ビジネス」という感覚は完全に持てなくなりましたが、そこで勝ったアメリカなどはまだそれを持っている人間が多いようです。

 

象牙の箸の故事のように、かすかな前兆から国の危機を感じ取るのは聖人でなければできないことかもしれませんが、このような軍備増強をみてそれを感じられないのはよほどの愚人だけでしょう。

そのような愚人が国の政治を行なっている、それこそが国の最大の危機です。

二酸化炭素しか見ていないとこんなバカげたことをやり出すという茶番劇です。二酸化炭素地下貯留

二酸化炭素の排出削減がほとんど進まないことから、焦った二酸化炭素削減派が手を出している「地下貯留」です。

www.nikkei.com

上記の日経新聞の記事には大きな間違いがあり、表題の「排出削減」という言葉は完全に誤りでしょう。

 

その概要は、記事中にもあるように「CO2を通さない地層の下の隙間が多い場所まで井戸を掘り、気体のままCO2を封入する。」というもので、現在「先行している」アメリカなどの例では、石油の取れなくなった油田に封入と言うものです。

 

ただし、非常にコストが高いのが問題であり、「2.4億トンの貯留には専用の井戸480本分の掘削が必要で、少なくとも2.4兆円の費用がかかる。」

 

ということで、2020年の日本の二酸化炭素排出量は11億トンあまりということですから、その「一年間排出量」のわずか2割しか貯留しないものに2.4兆円もかかるということです。

まさか毎年それだけの井戸を掘っていくということは不可能でしょうから、考えられない高コストということでしょう。

 

「気候変動、二酸化炭素」で頭の中が凝り固まっているとこういった方向に進んでしまいます。

まず、化石燃料使用削減というところから考えていけば、こんなバカな金の使い方は入り口で却下できるのでしょうが。

 

「マイルスとコルトレーンの日々」植草甚一著

植草甚一さんは映画やジャズ、文学などの評論で有名でしたが、1979年には亡くなっています。

この本はそういった植草さんがあちこちに書き残していた文章を内容別に「植草甚一スクラップ・ブック」というシリーズにまとめたもので、1977年に出版されたものの中の一冊です。

 

15冊が発行されていますが、その内ジャズ関係は4冊、「モダンジャズの楽しみ」「バードと彼の仲間たち」「ぼくたちにはミンガスが必要なんだ」という3冊と並んで、マイルス・デイビスジョン・コルトレーンに関する文章を集めたものです。

それらの初出はだいたい1960年頃から1970年代半ばまで、ただしコルトレーンは1967年に亡くなっていますのでその時期が最後となります。

 

マイルス・デイビスジョン・コルトレーン、どちらもモダンジャズの巨人というべき存在でしたが、この時期はどちらもバリバリの現役でしかも次々と問題作・話題作を連発していた時期でもあります。

それを「マイルスの今度の新曲はすごい」という形での文章を書いていた植草さんと言う存在はすごいものだと思います。

 

私もこの少し後の時期、1970年代半ば以降にジャズをよく聞くようになったのですが、その時にはすでにマイルスもコルトレーンも「少し前の人」になり、その名作も「すでにレコード屋に皆並んでいる」状態でした。

したがって、そこから昔を振り返ることは可能でしたが、現在形で見るということがもはやできない(コルトレーンは特に)ものとなっていました。

 

マイルス・デイビスはその演奏形態を次々と変え続けました。

本書にも紹介されているように「1945年のビーバップ全盛時代から25年後の現在でもまだ前進し続けているのはついにマイルス・デイヴィスしかいないということになった」

というのが間違いのないところでした。

ビ・バップ時代のマイルスについで、1950年代のクールなマイルス、ほぼ5年の周期で変わり続け、1955年頃はコード主義のマイルス、1960年頃からはモード主義のマイルスと変化していったと記されていますが、この文章を書かれていたちょうどその頃はマイルスがニューロックへと近づいていた頃であり、さらに変わっていきました。

この本はまだその中間段階でしかなかったということでしょう。

 

コルトレーンの死は植草さんにとってもかなりの衝撃だったようです。

「それはハプニングだ」と、少々古びた表現ですが。

私がジャズと言うものを聞き始めた時にはすでにコルトレーンは居なかったわけですが、そのレコードを振り返りながら聞くというのは遅れてきたものの特権ということでしょう。

しかし同時代で聞くことができなかったというのはそれ以上に悔しいものだったのかもしれません。

 

久しぶりに読んだ本ですが、以前は分からなかったことが分かるようになっているのかもしれません。

 

 

どうせいつもの暴言・放言で片づけられそうだが、森喜朗のウクライナ戦争発言

森喜朗元首相が、ウクライナ戦争についてウクライナに極度に肩入れする危険性について発言しました。

mainichi.jp

このところ暴言・放言ばかりという印象ですので、これもその一つとして捉えられるのかもしれませんが、アメリカ寄りのニュースばかりが流される中では貴重なものででしょう。

 

「ロシアが敗けることはまず考えられない」というのは間違いない所でしょう。

ウクライナ侵攻をあきらめるというのは国際的にはロシアの敗北と見なされるでしょうが、実質的にはそうとは言えません。

まあベトナム戦争アメリカの敗北といえばそうですが、アメリカの国土には一つの傷もつかず兵士は死亡したものの攻めきれなかったというだけのことです。

 

ウクライナの東部諸州をロシアに編入したというのが問題ですが、これを元に戻せばたしかにロシア領が減るということになり敗北とも言えますが、そこまで行くかどうか。

 

しかしおそらくこの森発言は「老害政治家の暴言」といったことで片づけられておしまいとなるのでしょう。

その他の政策でも完全にアメリカの指示しか聞いていない現政権ですので、こんなものに関わる記もないのでしょう。

 

「ジャズは本棚に在り」行方均著

ジャズという音楽は耳から聞いて楽しむのが第一でしょうが、ジャズに関する書物というものも数多く、それを読んでいくだけでも相当楽しめるものかもしれません。

この本では、著者の行方さん(ジャズレコードのプロデューサー)が手持ちのジャズ関係の書籍について、紹介するとともにそれに関する裏話なども書き連ねるといった趣になってします。

 

ジャズ関係の書籍といっても様々で、ビルボードヒットチャートのどこにジャズレコードがあるかといったことから、スウィング・ジャーナル誌の特集号、ジャズミュージシャンの自伝・伝記、そしてジャズを感じさせる小説も含まれています。

中には「ジャズポルノ」というものまで。

それがどのようなものか、短い紹介文ではよく分かりませんが。

 

私もジャズ好きでジャズ関係の書籍も昔から何冊も読んでいますが、私の手持ちの本でこの本に紹介された92冊の中に含まれていたのがただ1冊、植草甚一さんの「マイルスとコルトレーンの日々」というものだけでした。

1977年の発行の本ですが、その頃に買ったものでしょう。

この本での行方さんの紹介文表題は「新年だからマイルスとコルトレーンでも勉強しよう」というものですが、その中味がどのようなものだったか、よく覚えていません。

 

実は手持ちの本ではなく、図書館で借りて読んだ本は他に、中村とうよう著の「ポピュラー音楽の世紀」、青木啓著「ジャズ・スタンダード100」がありますが、そちらは読んだのが最近ということもあり、まだ記憶に新しいものですが。

 

ジャズも本格派のものばかりでなく、ボサノバやビートルズまで含めており、このあたりは著者の考えが色濃く出ているものでしょう。

ボサノヴァの歴史」という本には、もうすでに伝説になりかけているその創成期の頃の挿話なども書かれています。

アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトがその音楽を始めようと動きだした頃、イパネマの娘を録音する時に当時ジョアンの妻だったアストラッド本人がどうしても英語で歌いたいと主張して歌ったというのが伝説のようになっていますが、実際には英語の歌詞もあるわけだし、ジョビンが聞いていなかったはずもなく、やはり皆の了解があったのでは。

ただし、ジョアンのポルトガル語の歌は全部カットされたのがヒットした要因だというのは間違いないようです。

 

ナラ・レオンについての本も取り上げられており、ボサノヴァよりブラジル固有のサンバに傾斜したナラの伝記が語られているそうですが、その歌声の魅力もいまだに薄れることはないので興味深いものですが、どこかでその本を探してみましょうか。