爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

プラスチックはどうなるのか。石油依存社会の行く末。

目次

プラスチックの行く末について

1.プラスチック原料は石油

2.石油供給の不安

3.石油減少時代の諸相

4.まず「包装」をどうするか。

5.妙案はほとんどない。せめて他の用途は絞って石油はプラスチック製造のみに。

 

 

プラスチックについての最近の話題は、ゴミとして捨てられたものが環境に広がる害に関するものが多いようです。

しかし、「ゴミはちゃんと処理しましょう」などといったことだけでは済まない問題が数多いように感じます。

 

1.プラスチック原料は石油

プラスチックの原材料は現在のところほとんどが石油です。

石油から取り出したエチレンやプロピレンなどを加工して作り出しています。

NITE製品評価技術基盤機構のページに色々な情報が書かれています。

www.nite.go.jpそれによれば、石油の用途としては、「熱源(火力発電所、暖房等)42%、動力源(自動車、船舶、飛行機等)39%、原料(プラスチック、化学繊維等)18%、その他1%となっています。」となっており、プラスチックなどの原料となる比率は18%とかなりのものです。

 

なお、資源リサイクルセンターというところのまとめでは、プラスチック原料の比率は3%となっていますが、どうやらこれは合成ゴムや合成繊維原料は除いた、いわゆる「プラスチック」だけのもののようですので、広く捉えた上記の18%の数字の方が妥当かと思います。

輸入された石油のゆくえ | 中学生・高校生・市民のための環境リサイクル学習ホームページ

 

2.石油供給の不安

これも本ブログで何度も書いていますが、石油などの化石燃料はいつまでも供給が続くものではありません。

オイルピーク説というものがあり、石油資源はやがて減少してしまうという基本線はほとんどの人が否定できないものになっています。

ただし、その時期については諸説あり、すでに減少していると見る人も居ますが、100年後、500年後という人もあります。

しかし、いずれは石油は供給減少に至るということは間違いないことです。

それが自分たちの生きている間にやってくるかどうか、自分が死んだ後なら構わないとばかりに思考停止に陥る人も居ますが、自分の子供や孫、子孫が直面するということは考えないのでしょうか。

やはり今この時点でその将来を考える必要があります。

 

3.石油減少時代の諸相

脱石油の社会はどうなるかということは、これまでも論じてきましたが、その主要部分はどうしても交通手段、自動車や飛行機の問題に偏りがちでした。

これも避けられない問題ですが、グローバルなどという方向とは正反対に地域独立独歩になるということになります。

しかし、「プラスチック」という問題を考えた場合、それが社会の多くの方面で多大な影響を及ぼすだろうということは簡単に想像できます。

 

今の生活のどこを見てもプラスチックにあふれています。

例えば私が今座ってこのブログを書いている家の書斎、目の前にはパソコンですが本体のほとんどはプラスチック。

横を見れば収納ケース、これも全部がプラスチック。

着ている衣類もたいていは合成繊維。プラスチックと同様のものです。

台所に行けば食品類の包装資材はごく一部が紙ですがほとんどはプラスチック。

またかつては鉄の塊のようなものだった自動車なども多くのプラスチックを使っています。

 

こういったプラスチックの供給が少なくなったらどうなるでしょう。

 

4.まず「包装」をどうするか。

今にして思えば、私の子供の頃の半世紀前には「プラスチック包装」なるものはほとんどありませんでした。

「新聞紙に包んで持って帰る」というのが多かったのではないかと思いますが、詳しい記憶はありません。

弁当類などもほとんど無かったのですが、たまにあっても例の薄い木を組み合わせたような容器でした。(駅弁には最近までありました)

デリバリーなんて言う言葉もありませんでしたが、出前は店で出す陶器の食器のまま運んできて食べ終わったら返すというものでした。

プラスチックが減少すれば容器価格も高騰するでしょうから、簡単に使うことはできません。

かと言って、昔の新聞紙に戻るわけも行かず(そもそも新聞紙の流通も非常に減っています)今の流通構造自体が成り立たなくなるということでしょう。

 植物原料のプラスチックなどということを救済策のように言う人も居ますが、その供給量を考えれば間に合うわけもないことはすぐに理解できます。

それほどの莫大な量のプラスチックを消費しているのが現代文明なのです。

おそらく、あっという間にプラスチック原料向けの植物などは取りつくしてしまうでしょう。

 

5.妙案はほとんどない。せめて他の用途は絞って石油はプラスチック製造のみに。

どうやらプラスチックが無くなるということは、ほとんど現代文明が続かないということのようです。

こうなったら石油の消費はプラスチックに限るものとし、熱源や自動車燃料などといった用途には使わないようにして、せめてもう少し時間稼ぎをするしかないようです。

 

とはいえ、徐々に価格は高騰していくでしょうから、その間に何とか対応を考えていくしかないのでしょう。

上手い知恵は出そうもありませんが。

 

 

 

「内田樹の研究室」より、「日本学術会議問題について」

日本学術会議の問題については、様々な議論がされていますが、内田樹さんは「統治コストの削減」と「国力」という観点から書かれています。

blog.tatsuru.com

たいていの議論は「学問の自由」といった点を主要なポイントとしてますので、ちょっと違った観点と言えるのでしょう。

 

今回の反政府的言動をする学者の排除というものは、安倍政権時代から続いている「統治コストの削減」という路線の延長上にあるということです。

 

政府に反抗するような人々は排除していくことが「統治コスト」を下げることになるという方向です。

自民党政治家、官僚、マスコミとその成果をあげ、さらに学者の世界にも踏み込んできました。

おそらく、学者などは簡単に言うことを聞くだろうという思いだったのでしょう。

そこで思わぬ反対に出会ってしまった。

 

しかし、「統治コストの削減」は政権の安定性にはつながりますが、「国力」についていえば正反対の影響が出ます。

反政府的な人々というものは、「国力の増大」に寄与するというのが内田さんの意見です。

政権側にとっては反対意見というものは耳に痛いものですが、それは政権の間違いや非効率性、不合理などを指摘するもので必ず国力の増大につながるということです。

 

したがって、反政権者の排除に努めてある程度の成果をあげてきた安倍政権下では国力はどんどんと下がっていった。

この路線をスガも継承するということでしょう。

 

スガ政権は「国の活力を奪って政権を安定させる」方向を目指してしまった。

先は長くないでしょう。

「天下人の一級史料 秀吉文書の真実」山本博文著

豊臣秀吉が発布したと言われる「刀狩令」、小学校の歴史でも習うはずですが、あまりにも有名すぎるためかその原本に戻って検討するということはほとんどされていないようです。

 

しかし、現在残っている刀狩令の原本は約20通、それらを見ていくとその内容が少しずつ違うことが分かります。

しかも、鹿児島の島津家、福岡の立花家に伝わったその文書はなんと2通ずつあり、それが全く同じではなく内容も違っているということです。

これはどちらかが原本で、どちらかが写本の写し間違い?、しかしどちらにも秀吉の朱印が押されています。

こういったところから調べていくと、秀吉が天下統一した時代の行政命令の出し方、届き方など、色々なことが分かってくるようです。

 

立花家、島津家、そしてそれ以外の大名家に残された文書でも、それだけがポンと置いてあるわけではありません。

立花家の場合は、「義―乙」と呼ばれる文書箪笥の中に、他の13通の文書とともに収められていました。

それらはすべて秀吉の朱印が押されたその時代の公式の文書であったそうです。

 

刀狩りということは、秀吉が勢力を広げた全域で行われたと見られますが、この「刀狩令」という文書が送られたのはその全部ではないようです。

発見されている20通も九州に多いという特徴があります。

その辺にどのような事情があったのか、まだ研究途上でありはっきりとはしていないようです。

 

すべて原本と見られる文書でも用語が違ったり字の書き方が違ったりということは、そのころには秀吉には右筆が何人も(おそらく10人以上)居て、それぞれがすべて元の文書と同じように書いたわけではないからと見られます。

ある程度は文書例がありそれを写したのでしょうが、細かいところは違っていても可としていたのかもしれません。

 

ただし、島津家、立花家に2通ある理由は正確には分からないようです。

このような政令の場合は高札として貼り出して公表したとも考えられますが、その場合は写しを取って写しを貼ったという方があり得るようですし、他の大名家にも同様に残っていても良さそうなものです。

 

1588年(天正16年)には秀吉はバテレン追放令と呼ばれる朱印状を出しました。

これらは、実際にその対象となるバテレンたちに書状を渡されたという事情があり、彼らがイエズス会の正式史料として保存したということもあって、原本がきちんと記録されました。

このため、こういった書状の発布の事情や伝達のされ方が残っているという状況でした。

もちろん、イエズス会側の資料では彼らの都合も含まれているため史実そのものではありませんが、よく推測できるものであるようです。

 

このような有名な歴史上の史料でも、細かく見ていけば新発見がいろいろとあるということでしょう。

 

天下人の一級史料―秀吉文書の真実

天下人の一級史料―秀吉文書の真実

  • 作者:山本 博文
  • 発売日: 2009/06/01
  • メディア: 単行本
 

 

これが世界一強い大統領を選ぶ選挙の討論会だとは、相手のマイクは消音。

アメリカ大統領選、候補者の直接の討論会も最後になりますが、「発言時には相手のマイクは切る」ということになりました。

www.cnn.co.jp一人の候補が発言している間はもう一人のマイクは切っておくというもので、もちろん前回の討論会で発言途中でも大声で割り込むという醜態が頻発したためです。

 

これが、「世界一権力のある」大統領を選ぶ選挙の討論会だというのが、アホらしくなるほどの状況です。

 

こういった事実を「恥ずかしい」と思うような心理はアメリカ人には無いのでしょう。

ともあれ、あとちょっとで選挙になります。

しかし、今から混乱するのが明らかに見えているという大変な選挙になるようです。

もう完全に「アメリカの覇権の終焉」ということを表しているということなのでしょう。

せいぜい、思い切り「醜態の限り」を尽くしてもらった方が分かり易いかもしれません。

 

「超約 ヨーロッパの歴史」ジョン・ハースト著

歴史と言うものは、正確に詳しく語っていくとあまりにも長くなりすぎ、頭に入らなくなります。

もしも一地域の歴史だけであっても、その起源から現在までの流れを説明するのは簡単ではありません。

これは特に学生などに歴史学を教える教育者にとっては大問題だったようです。

 

著者のハーストさんは、オーストラリアの大学で歴史学を教えていたのですが、やはりその学生たちにヨーロッパの歴史を簡単に説明するということは困難だったようです。

そこで、おおざっぱな流れだけに絞って細かい事例や人名などにはこだわらず、概略説明だけを行うということを目指しました。

この本はその授業の内容をそのまま本にしたようです。

 

なお、さすがに「世界の歴史」は手に余ったようです。

オーストラリアのほとんどの人が起源をもつヨーロッパの歴史だけに絞っています。

 

第1章と2章が、これだけで全ヨーロッパ史を概説してしまうという大変な章になっており、さすがにそのあとに諸相として「侵入と征服」「民主主義」「封建制」「皇帝と教皇」「言語」「普通の人々」といった章で説明しています。

 

最初の「ヨーロッパを作った三要素」というのはいささか乱暴のようですが一般の学生にとっては分かり易いものだったのでしょう。

それは、「ギリシャローマ世界」「キリスト教」「ゲルマン戦士」です。

ああ、そうだなと思いますが、もちろんそれぞれを詳しく知りたければ自分で勝手に学んでねということなのでしょう。

 

これらの三要素は、非常に異質のものであり、とても共存することができるとは思えないようなものです。

しかし、それが混ざり合ってしまったのが現代のヨーロッパ文明(そしてそれは世界を支配する文明でもあります)だったということなのでしょう。

 

「幕間」として書かれているコラムも面白い文章でした。

ルネサンスの人々はギリシャローマの文化を再発見してそれを「古典」(クラシック)と認識しました。

ただし、現在の感覚での「古典」ではなく、当時の人々にとっては「古典=最高」という意味だったそうです。

中世の教会にゆがめられてしまったものを取り除けば「最高の文化」が現れたという認識でした。

これが崩れたのはようやく17世紀になってからで、天文学などにおいてギリシャ文明は間違っていたことが明らかになってからでした。

 

キリスト教宗教改革というものの見方も、一つ一つの事例を見ていてはとらえきれないものがあるのかもしれません。

これはルネサンスの興隆とも関係します。

ルネサンスが始めに興ったイタリアは当時もその後も小国分裂の都市国家状態でした。

そして、宗教改革が起きたドイツも小国が数多く分立していました。

そのため、皇帝がルターを異端者と見なしてもそれに反対する諸侯が数多く、結局プロテスタントが十分に力を蓄えることができました。

このイタリアとドイツの小国分立は、その後のナショナリズム高揚につながり、それが結局ファシズム台頭にも影響を及ぼしたということです。

ハースト氏は触れていませんが、もう一つのファシズム国家日本もそうだったのでしょうか。

 

「歴史は最初に大まかにとらえる」というのは全く正しい方法でしょう。

日本の歴史教育もこれを意識すべきでは。

まず原始時代から始まり、だらだらと細かい事例を教え込んで最後は太平洋戦争前に時間切れでは、歴史嫌いを作るだけでしょう。

「正確な歴史認識を国民がみな持つ」ことは困るということなのかもしれませんが。

 

超約ヨーロッパの歴史

超約ヨーロッパの歴史

 

 

レジ袋やストローを規制してもね、プラスチックの使用はさらに広がる

商店街の飲食店の苦境はさらに厳しく、何とか生き残りをかけて弁当販売やデリバリーなどで客をつなぎとめようと必死だというニュースがしばしば流れています。

 

しかし、その映像を見てかなり引っかかるものを感じました。

 

結構高級そうなレストランですが、その店内に置かれているのは数多くの弁当容器。

すべてプラスチックなどの素材が使われています。

もちろん、通常営業中には高級な食器ばかりが使われていたはずですから、まったく縁のなかった業態です。

 

普段はあまり外食などしなかった我が家ですが、それにしてもここ数か月ほとんど外で食べるということもなく、自炊でなければ弁当などを購入してきますが、そのほとんどはプラ容器です。

 

うちではさすがにすべてきちんとゴミに出していますが、そうでない人もいるでしょうから、かなりの不法投棄プラゴミ増加につながっているのでは。

 

その効果はほとんど疑問でしかなかったのですが、レジ袋有料化といった規制が始まっています。

レジ袋だけを規制してもその他の商品の包装のほとんどはプラスチックですから、こんなものは象徴的な意味しかないと思っていましたが、それがさらに激化しているようです。

 

植物素材由来などというプラスチックも出ていますが、それはそれで大きな問題を抱えているものの、現状ではほとんどすべてのプラスチックは石油由来です。

www.nagaseplastics.co.jp石油を直接燃焼させるのではなくても、いちおうプラスチックとしての役割を果たした後はゴミとして焼却されるのがほとんどですから、結局は二酸化炭素増加の要因となっているのでしょう。

 

しかし、私が考えても自動車を廃止する社会というものは想像できるのですが、「プラスチックを使わない社会」を想像するのは非常に難しいものです。

今さら竹籠や土瓶の社会に戻るのは相当な困難でしょう。

それがどれほど近い未来に迫っているのか、考えておくべきことなのですが。

 

「朝鮮半島と日本の未来」姜尚中著

日韓関係は非常に悪い状況となりますが、こういう時だからこそ日韓双方の事情に詳しい姜さんの声に耳を傾ける必要があるのかもしれません。

本書は私には珍しく出版(2020.5)直後のもので、コロナ禍についても触れてあります。

古い本にも利用価値はありますが、やはりこういったものは新しいに越したことはないでしょう。

 

第1次核危機と言われた1994年前後の状況から現在まで、韓国、北朝鮮、日本、アメリカなどの関係各国の情勢とその行動の裏に隠された思惑なども解説されています。

 

現在では核ミサイルの保有を宣言している北朝鮮ですが、以前は朝鮮半島の非核化を求めていました。

ソ連が崩壊しソ連の核の後押しが無くなったため、北朝鮮は何とかそれを切り抜ける必要がありました。

そのために在韓米軍の核兵器も撤去させ朝鮮半島非核化というものを持ち出したのは北朝鮮側でした。

そのために北朝鮮は核開発をしているかのようなポーズを取りそれでアメリカを交渉に引きずりだそうとし、半ばそれは成功しました。

しかし、そこで金日成が死亡するという事態になったため、アメリカは交渉を中断しました。

そこには、もはや北朝鮮は崩壊するという見通しがあったためでした。

ところが北朝鮮はその事態を乗り切ります。

そのために、交渉自体も雲散霧消してしまいました。

 

日本では中曽根政権、小泉政権の頃はまだ米朝の間を取り持とうという方向もあったのですが、安倍政権になってからは北朝鮮敵視ばかりになり、仲介機能は消えました。

平昌オリンピック頃には見られた南北融和のムードにも日本はまったく乗らず疑問視だけをしていました。

南北融和に動く韓国を「前のめり」と日本が批判すると、韓国は「日本が足を引っ張った」と見なすという形で、両者の対立は深まっていきます。

 

姜さんは、かつて生前の金大中さんに会ったことがあるそうです。

金大中金正日と会談をしたことがありました。

そこで姜さんは金大中氏に「金正日とはどのような人物だったのですか」と聞きました。

それに対し、金大中氏は「クレバーな人物だ」、「でも独裁者だ」と答えたそうです。

独裁者に対する金大中の警戒感というのは、実は韓国国内で作られたものでした。

金大中氏を何度も殺そうとし、多くの知人や支援者を殺害した独裁者、朴正熙は韓国の大統領でした。

独裁者と言うものを憎みながらも、それを敵としてではなくライバルとして見ることができるように「太陽政策」を実施しようとしたのです。

姜さんは金大中氏の言葉に大きな感慨を持ち、その太陽政策を現代に応用するために本書を書いたということです。

 

朝鮮半島と日本の未来 (集英社新書)

朝鮮半島と日本の未来 (集英社新書)