爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

熊本市繁華街で2件のコロナウイルスクラスター発生、しかしPCR検査拒否者が相次ぐ

熊本市の繁華街の飲食店で、2件のクラスターが発生しました。

クラスター拡大の熊本市 対策不十分な飲食店の利用自粛を要請|【西日本新聞ニュース】

 

2軒とも「接待を伴う」という分類の店ですが、1軒はキャバクラ、もう1軒はラウンジということです。

 

ところが、その先が少し違っていて、キャバクラの方は来店客の詳細が不明なため店名を公表、客の自主的な申し出を待ちました。

しかしラウンジの方は来店客にはすべて住所氏名を記載してもらっているとのことで、店名は非公表、保健所の方から客には連絡するということになりました。

 

その続報ですが、ラウンジの来店客の3分の2はPCR検査の要請を断ったということです。

理由ですが「症状がないから」ということで、無理に検査をするわけにも行かず、体調の変化がないかを確認するのみとか。

 

これは仕方ない面もあるでしょう。

 

客にしてみれば無症状であってもPCR検査で陽性となればホテルや自宅とはいっても隔離状態となり、私のような無職のものは関係ありませんが、仕事を持っている人にとっては迷惑以外の何物でもありません。

 

ただし、無症状であっても感染していれば周囲に感染を広げる危険性はあるわけで、大きな問題です。

 

やはり現状の感染症クラス分けで新型コロナウイルス感染症が高い位置に置かれているからでは。

 

なお、店名公表のキャバクラの方でも、もちろん名乗り出ている客は症状の不安がある者だけでしょうから、無症状だったら何の連絡もしないままの人も多いことはもちろんでしょう。

感染拡大当初から問題だと感じていましたが、無症状者、極めて軽い軽症状者が多いというのはこのウイルスの悩ましい所でしょう。

「実践 日本人の英語」マーク・ピーターセン著

著者はアメリカより来日し長らく文学の研究をするかたわら、大学で学生の英語指導を行ったり、日本人科学者の書く英語論文の添削をしたりという活動をしてきました。

 

最近は日本語を使う外国人も増えていますが、時々おやっと思うような変な日本語表現に出会うことも珍しくありません。

これは、日本人が書く英語を見た時の英語圏出身者が抱く感想と同じようなものです。

 

この本ではそのような日本人が英語を書く場合におかしやすい間違いをあげ、解説しています。

 

AのB という表現を英語にする場合でも、簡単に「A's B」あるいは「B of A」とすればよいというわけには行きません。

例えば、「の」を使った日本語の表現として次のようなものがあります。

兄の本、英文の手紙、裏口のカギ、東京のおじさん、満開の花、成功の秘訣

これらの中で「A’s B」または「B of A」の形が使えるのは、実は「兄の本」だであり、他の6例はすべて違います。

正しくは、a letter in English, a key to the back door, my uncle in Tokyo, fowers in full broom, a secret to succes

といった具合になります。

 

冠詞と数という問題も日本人がなかなかきちんと使うことができないものです。

「数」というものに対する英語の感覚は非常に厳密であり、日本人から見ればちょっと過剰すぎるのではと思うのですが、これも「カタコト英語」を脱するには避けては通れないものです。

「彼女はよく大学時代の恋人を思い出す」という日本語文は別におかしくはありません。

しかし、これを英語にしようとすると、これだけでは色々な場合があり特定できないのです。

1、「大学時代の彼女の恋人」が一人しかいない

2、「大学時代の彼女の恋人」が複数いて、その「すべて」をよく思いだす

3、「大学時代の彼女の恋人」が複数いて、そのうち「何人か」を良く思い出す。

4、「大学時代の彼女の恋人」が複数いて、そのうち「一人だけ」を良く思い出す。

英語にする場合にはこのいずれなのかをはっきりとしなければ書くことができないわけです。

例えば、1は She often recalls the boyfriend she had in collage.

               4は She often recalls a boyfriend she had in collage.

となります。

冠詞が「the」と「a」と違うだけでこれだけの意味の違いがあることになります。

これをいい加減な冠詞の使い方をしたのでは、聴いている英語国民を惑わせることになります。

 

日本人の英作文のつまづきを見ていると、「動詞のワンツーパンチ」があることが分かります。

それは、1、英語の動詞とそれに「相当する」と日本人が思い込んでいる日本語の動詞との間にある、使い方のギャップによるパンチ

2、日本語と違って英語には「時制」があることによるパンチ

です。

例えば、challenge と言えば「挑戦する」、expect と言えば「期待する」という意味しか出てこない人が多いようです。

challenge+目的語には、を挑発する、に異議を唱えるという意味はありますが、に挑戦するという意味はありません。

expect+目的語も、予期するという意味はあるものの、何かを当てにして実現を心待ちにする、つまり「期待する」という意味はありません。

辞書には多くの語義が載っているはずであり、きちんと覚えなければ間違えます。

 

また動詞の「時制」というのも日本人があまり理解できていない点が多いようです。

日本人が英作文をする場合、この動作の状況がきちんと表現できていない例が非常に多いようです。

特に、完了形というものが表す意味、その状況については基本的に理解できていないようです。

 

仮定法というのも日本人が不得意なようです。

マークさんが驚くのは、仮定法というものを学習するのが高校1年になってからだということです。

中学の3年間と高校1年のしばらくは「仮定法」というものが無いかのように会話を組み立てているわけで、非常に不自然なものになってしまいます。

それほど、普通の英語での会話には仮定法というものが頻発するものです。

また、仮定法の使用法で「if」で示される条件の部分が省略される使用法が非常に多いというのも特徴です。

I would be glad to help you.

という文章も一見普通の過去形の文章のようですが、これも「if」の文章が省略されているもので、「よろこんでお手伝いします」という意味になります。

省略されている部分はたとえば「If it would be all right with you,」といったものです。

この文章のように、「would」や「could」を使ったものは英語圏の人は仮定法過去と受け止める方が自然だそうです。

 

副詞も日本人が誤用することが多いものです(そんなものばかりのようですが)

almost , enough, just, 等々、不自然な使い方をしてしまいます。

justも「ただ」や「だけ」という意味だけでなく、「ばかり」「ちょうど」といった意味もあるのですが、それは忘れられてしまいます。

「ジャスト・ミート」というのも和製英語ですが、マークさんは全く意味が分かりませんでした。

福澤朗アナウンサーがよく言っていたということで「ジャストミート」というのが彼の愛称のようになっていたそうですが、マークさんは「just meat」つまり「肉だけ」だと思っていたそうです。

これは野球用語で「ボールの中心にバットを当てて打つ」ことを言いそこから「ど真ん中をとらえる」といった意味に使われるようになったということですが、当然ながら英語にはそのような意味はありません。

 

最後に「ちょっと大人っぽい英文を書く小技」というものが披露されています。

もちろんそれだけではおかしくなるでしょうが。

1、however, for example といった語は文頭ではなく途中に置く

2、接続詞を工夫してみる、although や even though など日本人があまり使わないものを使いこなす

3、分詞構文を使ってみる

だそうです。

 

実践 日本人の英語 (岩波新書)

実践 日本人の英語 (岩波新書)

 

 よく「何十語だけで英語はしゃべれる」なんていうCMが出てますが、そんなのは「幼稚な」英語に聞こえるのでしょう。

田中宇さんの「国際ニュース解説」より、「隠れ支持者がトランプを再選させる」

田中宇さんはその「国際ニュース解説」でずっとトランプは再選されると主張してきましたが、ここに来てそれを詳しく解説しています。

tanakanews.com

現在でもアメリカのマスコミ系の世論調査では10%近くの差でバイデンが有利と報じていますが、田中さんはこれらの世論調査は前回選挙同様に今回も間違えると考えています。

 

この理由は、トランプに投票する共和党支持者の多くはその意見を投票時まで明らかにしない「隠れ支持者」であるからとしています。

 

マスコミや学術界、IT業界など、新興勢力のほとんどが民主党支持であり、彼らが力を持つインターネットを完全に制覇しています。

したがって、共和党トランプ支持などということは調査では口に出せない人が多いとか。

共和党系の研究所によると、こういった「隠れ支持者」の比率は70%以上に上るとか。

そのため、実際に来月の選挙になってみると、トランプが逆転どころか圧勝するという見通しです。

 

しかし、今回は郵便投票を実施する有権者が多いと考えられており、それで投票を確定させることが難しいとも言われています。

このため、投票結果の確定が遅れると言われていますが、それがもたつくと互いに選挙の不正を主張し合い、暴動が起きたり最悪の場合内戦になるかもと考えています。

 

さて、どうなりますか。

 

権力側と大統領が対抗勢力というのも驚きますし、大統領を支持する勢力がそれを隠さなければならないというのも日本とはまったく正反対のようです。

日本では政権支持派がわが世の春とばかりに言いたい放題を続けています。

それが普通と思いますが、よほどアメリカは複雑になっているのでしょうか。

それにしてもアメリカで内戦とは。

南北戦争以来になるのでしょうか。

これで、一所懸命蓄え続けた手持ちの銃などの武器が陽の目を見る?のでしょうか。

「『日本の伝統』の正体」藤井青銅著

歴史だけは古い日本だけあって、「古くからそうです」と言われるとなんとなくありがたく思ってしまうところがあるようです。

しかし、「日本の伝統」と言われるものでも、本当に「古くからあるもの」なのか。

 

そこに疑問を持った著者が、本当のところいつ頃からあるものなのかを調べました。

 

いつ頃から続いていれば「日本の伝統」と言えるのか。

第二次大戦の後にできたようなものは、ちょっとそうは言えないと誰もが思うでしょう。

それなら「明治以来」ならどうか。

それでも150年以上続いているから企業や商家なら立派な歴史と言えますが、「伝統の風習」と言えるかどうか。

少なくとも「江戸時代から」程度は欲しいものです。

しかし「江戸時代」も265年もありました。

その最初と最後ではかなり違います。

 

正月にあれこれある行事はいかにも「伝統」らしきものです。

おせち料理というものも伝統そのもののようです。

たしかに、「お節料理」のお節は奈良時代からある祝いの節句の料理ということです。

ただし、それを「重箱」に詰めるというのはせいぜい幕末から明治。

完全に定着したのは戦後にデパートの販売戦略でできてからだそうです。

 

箱根駅伝も正月の伝統行事のようですが、これは第1回が大正9年というのは比較的知られているでしょう。

面白いのは、正月になればBGMとしてよく流れれる「春の海」という曲です。

これも宮城道雄作曲ということは知られているでしょうが、明治くらいかなという感じでしょうか。

しかし作曲されたのは昭和4年、なんと箱根駅伝より新しい。

 

神前結婚式も最近は少なくなりましたが、日本の伝統らしき様式に見えます。

最初に行われたのは、明治33年、のちの大正天皇、当時の皇太子の婚儀に際して様式を定めて行われた時だそうです。

実は結婚式としてはキリスト教式の方が早く明治初年、さらに仏前結婚式も明治25年と神前結婚式より早く行われていたそうです。

 

夫婦の姓が違うことも認めようという要求が強くなっていますが、夫婦同姓が日本の伝統だと主張する人々も多く、なかなか進まないようです。

庶民まで名字を名乗れるようになったのは明治になってからですが、明治8年に「平民苗字必称義務令」という法律ができて必ずだれもが名字を名乗らなければならないようになりました。

その時に、「結婚した女性の苗字はどうなるのか」という疑問が生じ、政府に問い合わせが来たそうです。

その時に、太政官指令で決められたのが「他家に嫁いだ婦女は、婚前の氏を名乗る」とされていました。

つまり、この時点では「夫婦別姓」と決められていたのです。

その後、明治31年になり旧民法が発布され、そこではじめて「夫婦同姓」が制定されました。

日本の伝統などといってもこの程度のものです。

 

京都の伝統、三大漬物と言われますが、しば漬け、すぐき漬け、千枚漬けがあげられます。

しかししば漬けは約830年、すぐき漬けは420年の歴史があるものの、千枚漬けが作られたのは幕末の慶応元年、宮中の料理方をつとめていた大黒屋藤三郎が創作したものだそうです。

 

京野菜にも数々ありますが、万願寺トウガラシもそれに数えられます。

しかし、「万願寺」とは京都のお寺ではなく舞鶴市の地区名で、このトウガラシはその地区の農家が大正末期から昭和初期にかけて伏見系のトウガラシと、カリフォルニア・ワンダー系のトウガラシを交配させて作り出した品種だそうです。

したがって、万願寺トウガラシについては「京都の伝統野菜に準じる」と称されているとか。

 

神社、神宮も2000年以上の歴史があると称するところもありますが、意外に新しいものも多いようです。

平安神宮 明治28年創建

橿原神宮 明治23年

明治神宮 大正9年

吉野神宮 明治25年

湊川神社 明治5年

といった具合です。

なお、伊勢神宮は創建はたしかに2000年以上前と言われていますが、ながらく在位中の天皇が参拝することはありませんでした。

それが初めて参拝したのが明治天皇明治2年からのことです。

 

どうやら、かなりの「日本の伝統」が新しいものであるようです。

 

「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

  • 作者:藤井 青銅
  • 発売日: 2017/11/23
  • メディア: 単行本
 

 

スガは靖国問題もアベ継承

靖国神社例大祭にスガは真榊奉納をしましたが、これはアベがやったことをそのまま継承したようです。

www.jcp.or.jp

スガは官房長官時代には一度も真榊奉納ということはしていません。

総理になったために今度はじめてやったということで、これが直接「真榊奉納は総理大臣としてやっている」ことの証明になっていることになります。

 

アベ時代には「総理大臣である安倍晋三が私人として奉納している」などという屁理屈で実施していましたが、これで「総理大臣がやっている」ということが分かってしまいました。

 

どうもスガはこういった論理などには極度に弱いようです。

まあ、これまでの総理もそうだったのでしょうが、それを補佐する人材がいたのでしょうが。

よほど人材レベルが低下しているのかもしれません。

「インターネット」村井純著

インターネットは爆発的に広がり、今ではほとんどの人が接続しているような状況になっているように見えます。

しかし、その進展はそれほど昔から進んでいたわけではありません。

この本は、日本においてインターネットの広がりが徐々に進んでいた頃、それを推進していた中心人物のひとりであった村井さんが、分かり易く岩波新書で解説されたものです。

 

村井さんがJUNETを立ち上げて東工大と慶応大の接続を始めたのが1984年、そこから日本のインターネットが始まったと言われています。

その後、WIDEプロジェクトも創設し他の大学などとの接続へ拡大していきました。

その村井さんが1995年にこの本を書かれました。

 

世間はまだようやくパソコン通信というコンピュータ間の情報やり取りが始まった程度。

これは中心となる機関、ニフティサーブアスキーネットといったところがサーバーを置き、そこに会員が電話回線で接続するといったものでした。

その頃すでにアメリカなどではインターネットが普及を始めており、日本でもその方向に進めようとしていました。

とはいえ、本書最初にあるようにその当時のネット接続のコンピュータ台数は1000万台以上と記されており、現在の日本一国の接続数よりはるかに少ない段階でした。

 

そんな時代ですので、本書もまず「パソコン通信」というものには触れている人々にインターネットを説明するといったところから始まります。

 

当時はパソコン通信以外にもすでに企業の社内ネットは整備されつつありましたが、やはりどちらも中心となる大型サーバーから専用回線や電話回線を通じて接続するというものでした。

従って、大型サーバーを設置する費用も莫大、専用回線になるとさらに費用が掛かるといった状況でした。

 

そこに、基本的な思想がまったく異なるインターネットを普及させようとしたわけです。

 

インターネットは常時接続のコンピュータ、それも個人所有などの小型のものを通して情報を送り合うというもので、企業内通信などを考えていた人々にとってはやはりかなり発想の転換が必要となるものでした。

(ただし、これは情報の安全という点では現在でも問題を引きづっているのかもしれません)

 

本書執筆時にはまだ夢の中のようなことであった話もふんだんに取り入れられていますが、多くはその通りに進んでいったということでしょう。

企業などでの社内ネット会議、ネットを使った通信販売、オリンピックなど大イベントのネット中継など、実際にその方向へとどんどんと進んでしまったことになります。

 

インターネット開発の原始時代とも言える時代だからこその色々な混乱についても話題として触れられています。

ネットでは日本語を使うのかどうか、これも相当な議論があったようですが、やはり広く普及させるためには英語だけでなく各国の言語が利用できるようにしなければならないと頑張ったようです。

コンピュータ上での言語処理は英語圏で始まったため、8ビットですべて片付けるようなものになっていたのですが、漢字を使う日本などではそれでは不足し2バイト(16ビット)が必要です。

すでに8ビット体制になりかけていたものを、何とか16ビットを使わせるように交渉を重ねたそうです。

そこには、英語以外の言葉を使う国々とも共闘をしていったとか。

このおかげで、ネットでは無理やり英語を使わなければということにならずに済みました。

もしもそうであったらここまで普及はしなかったでしょう。

 

最初の頃は国際的なネット接続でも国際電話回線を使わなければいけないということでした。

これの料金が非常に高く、ほとんど研究費もない参加メンバーはその捻出に苦労したそうです。

 

先行して普及していたパソコン通信とも乗り入れができるようになりました。

1992年のことだったそうですが、その後パソコン通信とインターネットの相互通信は爆発的に増加しました。

結局、そのためにパソコン通信はどんどんと崩れていってしまうのですが、利用者はそのままインターネットへと乗り換えることになりました。

 

これからのインターネットという最後の章では、「モバイル機器が必要」とか、「セキュリティについて」といった、今に至る情勢の正確な見通しがされています。

ただし、ネットセキュリティについては「セキュリティ技術はすでに順調に開発されている」としています。

まあ、技術としてはそうなんでしょうが、結局はネット参加メンバー(ということは大多数の国民となります)の意識の問題でセキュリティが伴わないということなんでしょう。

そして、「新しい地球の創造」と結ばれています。

たしかに多くの点でそうなったということでしょう。

 

インターネット (岩波新書)

インターネット (岩波新書)

  • 作者:村井 純
  • 発売日: 1995/11/30
  • メディア: 新書
 

 この本を買った当時、私は家ではネット通信はできず、会社の社内ネットを通してインターネットも制限されながら接続していた状態でした。

その後すぐに家でもコンピュータでネット接続を果たしたのですが、まだ電話回線接続でその料金もかなり高かった覚えがあります。

それからわずか20年、その進歩には驚くばかりですが、その暗い裏面の拡大も激しいものになりました。

 

 

今日は亡父の誕生日

本日、10月17日は亡父の誕生日です。

1915年、大正4年のこの日に長野県南部で生まれました。

生きていれば105歳、ちょっと無理か。

 

普段はそれほど思い出さないんですが、さすがにこの日は印象深いものです。

子供の頃にはこの日には母は必ず栗ご飯を炊いていました。

 

小さい頃はまだ家も裕福だったようで、幼稚園に人力車で通ったという話はしていました。

しかし、その後祖父が知人の借金の保証人になり財産を無くしたとかで苦しい生活になったようです。

祖父母に関する話は生きている間にはほとんどしたことがありませんでした。

 

若い頃は仕事もいくつか転々としたようですが、終戦後に入った会社にずっと勤め続け最後はある程度の地位にまで上りました。

しかしその会社には心から従っていたわけではなく、私が大学卒業時にそこも受けようかと言ったところ「あんな会社ははったりが効く人間でなきゃやっていけないからお前じゃ無理だ」と言われてしまいました。

 

定年間近に始めた剣道には入れ込み、毎日暇があれば素振りをし、しょっちゅう道場にも通っていました。

最後には6段まで昇進しましたが、どうもあの昇段試験は若者と老人では基準が違うのではと思っていました。

しかし、竹刀や居合刀を構えた姿というものはさすがに凛としたものでした。

 

かなりの年齢まではしっかりとした生活を送っていましたが、さすがに90歳を越えるとかなりガタが来ているのは明らかでしたが、92歳で亡くなりました。

父親の破産もあり、戦争もあり、色々とあった人生だったのでしょうが、幸せだったのでしょうか。