爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

臨時国会開催拒否は憲法違反の可能性もあり、そこまでやりたくないのはなぜか。

新型コロナウイルス感染拡大が急激となり、さらに各地での水害被害も大きかったことから野党は臨時国会開催を求めていますが、与党は拒絶しています。

しかし、憲法に基づく臨時国会開催を拒否することは大きな問題ですが、そこまでして開きたくないのはなぜでしょうか。

www.huffingtonpost.jp

上記記事中にあるように、憲法53条に基づく臨時国会開催要求には与党は応じる義務があり、数多くの裁判判例もそれを支持しています。

それでも開きたくないのはなぜか。

 

まずは、首相がこれまでのコロナ禍対策で数々の失態を連発、もはや何の方策もなく国会を開けば集中攻撃を受け持ちこたえられないということを考えてのことでは。

今思えばまだ甘い状況であった第一波に、数十兆とも言われる(ほどではないけど)対策を打ち出してしまい、その割に感染症も終息せず、経済もボロボロということになってしまったというのが大きなトラウマになっているのでしょう。

 

さらに、噂だけですがこれまでよりもっとひどい首相がらみのスキャンダルが用意されているという話もあります。

それを怖れてのことか。

 

しかし、理由はとにかく相当重大な事態となりつつあるにも関わらず、首相が何も話そうとしないのは、もはや政権としての正当性を失っているとしか言えないと思います。

一番最近の発言が「マスクにも色々ある」では、とても首相の任に堪えないというところでしょう。

「議院内閣制 変貌する英国モデル」高安健将著

議院が支持する者を内閣とする議院内閣制は、イギリスでは長い歴史の中で形作られてきました。

イギリスは「議院内閣制」であるという前に、「議会主権の国」であるという必要がああります。

 

日本では憲法上、主権者はあくまでも国民であり、国民によって選挙された国会が「国権の最高機関」と位置付けられています。

しかし、イギリスではそこが少し異なります。

国会議員は国民が選びますが、主権を持つのはあくまでも議会であるということになっています。

これには、イギリスの長い政治史が関わっています。

チューダー朝ヘンリー8世絶対王政を確立しますが、その時にはすでに議会の原型ができていました。

それ以来、国王と議会とは対立しながら勢力を争っていきます。

 

名誉革命を受け、その翌年の1689年には権利章典を宣言し、ようやく議会が国王に対して優位に立つことになりました。

しかし、その時でもまだ政府(内閣)は国王の従者でした。

それも徐々に議会の支持が首相(当時の正式名称は第一大蔵卿)に必要になっていくようになります。

 

議会も当初は貴族院庶民院(下院ですが、この本ではこの名称を使っています)とが同等以上であったものが、徐々に貴族院の権力は制限され20世紀初頭になり完全に庶民院が圧倒するようになります。

その結果、庶民院が支持する指導者を内閣首相に国王が指名するということになり、議院内閣制となるわけです。

 

しかしそのころの政治勢力では保守党と自由党が二大政党であり、まだ労働者は組織化された政党を持っていませんでした。

彼らが台頭するまでは中流以上の人々が支持する議会が「政治エリート」と呼ばれる人々に政府を任せるというのが「議院内閣制」でした。

その人々は国民に対して責任を負っているようには振る舞わず議院に支持されれば良いという立場でした。

そのような政治エリートを議会を通して国民が信頼するのが基本でした。

 

第二次大戦後には労働党が勢力を増し、保守党と二大政党体制を築くことになり、自由党は没落します。

そして、保守党の内閣でもこれまでとは異なる政策が取られるようになります。

ただし、首相への集権化というものが進められたようでもありますが、議会と政府とは必ずしも一致しない部分もあります。

政権党の議院であっても、政府の提出した議案に反対する議員が出ることがあり、完全な統率は取れていません。

政権党の議員であっても、一番の関心事は政府が政策を誤らず、次の選挙でも当選できることであるため、間違えたと感じた場合は反対するという姿勢であるためです。

 

しかし、議院内閣制の重要な性質である「二大政党制により政権交代を容易にする」という点は、すでにイギリスでは崩れてしまっています。

1955年の総選挙で、保守党と労働党の両者の得票率を合わせると、相対で96%でした。

そのため、このどちらか強い党が過半数議席を獲得できるのは自明でした。

しかし、その後第三勢力と言うべき政党が支持を集めるようになります。

自民党、英国独立党、緑の党スコットランド国民党、ブライド・カムリの各党で、これらが票を集めるようになりました。

2000年代以降では、相対得票率でも保守・労働の大政党で30%台と言うことになり、過半数には遠く及ばないことになりました。

この状態では、選挙で勝つか負けるかで政権が決まるのではなく、選挙後の連立交渉で決まることになります。

もはやとても二大政党による政権交代などと言えるものではなくなりました。

 

そのためかどうか、元々なのかもしれませんが、イギリス政府の決定は失敗ばかりと批判されています。

政治を研究してきたアンソニー・キングとアイヴァー・クルーが2013年に著した著作にはその失敗として、人頭税個人年金制度、子ども援助局設置、ERMからの離脱、ミレニアム・ドーム建設、等々多くの政策が挙げられています。

これらの失敗を引き起こしたのは、次のようなこのシステムの失敗からだとしています。

1中心の不在、2大臣や官僚の早すぎる交代、3大臣の積極主義、4説明責任の欠如、5周辺化された議会、6政府と業者などのサービス供給の担い手の間の専門知識の非対称性、7熟議の不足

 

 

このようなイギリスの議院内閣制ですが、日本ではしばしば理想化されそれを目指してきました。

1994年の政治改革はそれが主題であったのです。

そこで中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変更、政党交付金を支給、政治家個人への献金は制限というように変わりました。

これで自民党は総裁への集権化が進みました。

小泉や安倍への権力集中は激しいものとなりました。

ただし、「選挙に勝てない総裁」は権力を持ち続けることはできずに排除されました。

一方、野党では総裁や党首への集中が全く起こらず、かえってバラバラになってしまいます。

まだまだ多くの制度改革が必要なようです。

 

イギリスの政治史から、議院内閣制を考え直すというのは、非常に優れた方法でしょう。

ただし、どうしても日本の政治制度との比較から、日本をどうやって変えていこうかという方向に考えが進んでしまいますが、その妙案はさすがに本書の範囲外ということでしょうか。

自ら一所懸命考えなければならないのでしょう。

 

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

議院内閣制―変貌する英国モデル (中公新書)

  • 作者:高安 健将
  • 発売日: 2018/01/19
  • メディア: 新書
 

 

お盆の帰省は今年は無理か

お盆の帰省をめぐっては、政府内でもバラバラな意見が飛び交い、もう末期的症状(とずっと言ってますが)のようです。

www.yomiuri.co.jp

しかし、政府が何と言おうがもはや当人たちは態度を決めていることでしょう。

例年ならばこの時期の飛行機や列車のチケットは予約殺到のはずが、大幅に売れ残りということは、かなりの割合で帰省断念という人が出ているということです。

 

我が家の関西在住の二人の子供たちも今年は盆帰省は中止です。

五月連休もダメだったので、しばらく顔も見ることができませんが、こちらには高齢の祖父母が居ますので万が一を考えれば仕方ないことでしょう。

 

熊本でも熊本市以外のところは普段はほとんど人の顔も見ずに過ごせるほどですが、それでも年に二回の盆と正月だけは多くの人が帰省してきます。

街が賑わいを取り戻す貴重な機会なのですが、それが無くなるとこちらでも関係業者が苦しくなるところです。

飲食店、飲み屋、宴会場、仕出し屋、総菜屋等々、書き入れ時と狙っていた人々が落胆しそうです。

 

今朝の新聞チラシにも「故郷の味でお出迎え」といういつも通りのスーパーチラシが入っていましたが、何かむなしさを感じるものでした。

この時ばかりは、高価な刺身、馬刺し、寿司、オードブルと言った鉢盛が売れるのですが、その需要もしぼみそうです。

「電車線路と安全のはなし」鈴木安男、猿谷應司、大塚節二著

電車の走る線路というものは、鉄道の安全に深く関わっており、そこから起因する事故も数多いものです。

著者のお三方は、現在は技術士などとして鉄道の安全について活動をされていますが、かつては鉄道会社で技術の最前線で活躍されていた方々です。

事故の対応や、事故を未然に防ぐための設備の設計施工など実際に担当されていたようです。

 

一番最初の章の題となっている言葉がこの問題の難しさを端的に表しています。

「人は間違えるもの、設備は壊れるもの」

まさにこれが真実であり、それを理解しながらできるだけの対応を取って少しでも事故発生を減らしていくというのが目標なのでしょう。

 

人にまつわる安全という問題では、色々な手法で現場作業者の意識を高め、危険から身を守るという思想が感じられます。

ヒヤリハット」や「危険予知」といった活動は重要なものです。

鉄道での作業者の行動として、「指差呼称」はもはや一般でも知る人が多いものでしょう。

これも、実際にそれで危険を感じ取るというより、その行動自体が安全意識を高めるという作用の方が意味が大きいようです。

また一人作業の時にも行うという意識が大切ですが、複数作業の時にそれで全員に安全という方向性を示すということも重要です。

 

設備の設計も、これまで発生した無数の事故からの知見で改良されてきたものが多くなっています。

こ線橋などの下部で電線を支えるための設備は橋の内側に設置するのが普通でしたが、雨が直接当たらなくなるため、汚れが落ちづらいということになりました。

これが絶縁性能を低下させ雷に対する弱点箇所となりました。

これを防止するため、「橋の内側には支持個所を設けない」という設計変更を行い徹底してきたそうです。

 

他にも、現場ならではの体験から得られた貴重な話が数多く掲載されています。

まあ、これらの知識を活かせる環境にある読者は少ないでしょうが、何かを感じ取れるかもしれません。

 

なお、専門用語が多数出てくるのは仕方がないのでしょうが、この分野ではかつての旧漢字時代からそのまま使われている用語が多く、常用漢字ではないものはひらがなとしてそのまま使われているために、非常に見にくいものとなっています。

饋電方式が「き電方式」、跨線橋が「こ線橋」、吊架線が「ちょう架線」と表記されています。

漢字が使えないなら用語自体を変えるということが必要なのではないかと感じます。

 

 

八代のソウルフード

ソウルフード」とはもともとはアメリカ南部の黒人料理をさす言葉だったようですが、今では各地の郷土料理などに用法を広げたようです。

 

私の住む八代市にもタウン情報誌があり、「やつしろぷれす」というのですが、毎月一回配られてきます。

その先月号でアンケートがあり、「あなたのソウルフードはなんですか」というものだったのですが、今月号ではその結果が掲載されていました。

 

堂々、その表紙を飾っているのが「シュードーナッツ」です。

これは八代市民ならほとんどの人が知っているけれど、県内でも他のところの人はほぼ誰も知らないというものです。

市内のパン屋「ミカエル堂」が長く販売しているもので、たっぷりのキャベツとひき肉を混ぜたものをパン生地で包み、揚げたというシンプルなものです。

 

他には「このしろ寿司」「日奈久ちくわ」「鮎の甘露煮」といった昔からの郷土料理もあがっていました。

 

生まれ育ちが別で就職してからこちらに来た私としては、これらの食べ物はソウルフードといった感覚はないのですが、それでもどれも何度か口にしたことはあるものです。

 

熊本県内でも熊本市などでの「熊本郷土料理」や阿蘇の料理などとはちょっと違うものが入ってきます。

まあ、食べて楽しめれば良いのでしょう。

 

なお、先月のアンケートの私の答えは「五平餅」でした。

おそらく他にこの答えをした人は一人も居なかったでしょう。

「うつも肥満も腸内細菌に訊け!」小澤祥司著

いささか品の無い書名ではありますが、端的に内容を示しています。

 

腸内細菌という、動物の大腸などに住み着いている細菌群が、実はその動物と共生と言っても良いほどの関係なのではないかと言うことは、最近世界中で研究が進められているようです。

私もこのところ他にも同じテーマの本を読みました。

「あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた」アランナ・コリン著 - 爽風上々のブログ

「抗生物質と人間 マイクロバイオームの危機」山本太郎著 - 爽風上々のブログ

 

本書は細菌学名や生化学的知見など、やや専門的な叙述が多くある程度知識のある人向けではないかと思いますが、その代わり最低限の術語が分かる人にとっては飲み込みやすい描写になっていると言えるかもしれません。

 

このような状況になったのは、本書の最後に書いてあるように「メタゲノム解析」という研究手法が急速に進歩したことが影響しています。

かつては細菌など微生物を研究対象とするには、一種ずつ培地に取り上げて純粋培養しなければならなかったのですが、今では微生物の塊をそのままゲノム・シークエンサーという装置で自動的に解析し、コンピュータで処理することでそこにどのような細菌が棲息するかを調べることができるようになりました。

これは、腸内細菌群の解析といった用途にはうってつけの方法であり、多くの研究者が飛びついたのも当然でした。

そして、様々な方向にこのデータを用いて進んでいきつつあります。

 

本書ではそのような分野での研究成果の中から、ストレスとセロトニンと菌の関係、自閉症とGABA、食欲のコントロールと細菌、善玉菌・悪玉菌と免疫システムといった話を取り上げて説明しています。

これまではよく分かっていなかった理屈が、何か分かってくるような期待が持てます。

 

ストレスが高じて過敏性腸症候群IBS)という状態になってしまう人が多くいます。

神経的な影響が消化管に悪影響を及ぼし、下痢型、便秘型といった症状に現れるのですが、それがさらにストレスを悪化させることになりかねません。

ところが、それが「幸せホルモン」などとも呼ばれるセロトニンに関わっている可能性があります。

セロトニンが過不足することにより、下痢や便秘となるのですが、そのセロトニンの産生と代謝に腸内細菌が大きく関わっているようなのです。

その細菌種はクロストリディウム属であるらしく、いわゆる善玉菌ではないようです。

 

ロンドンのキングスカレッジの遺伝疫学教授のティム・スペクター氏とその息子のトムはトムの卒論実験のために自らの身体を使って腸内細菌調査を行いました。

トムは10日間毎食ファストフードだけを食べるという食生活を行い、実験前と後の腸内細菌の構成を調べたのです。

わずか10日間ですが、その影響は腸内細菌叢の崩壊とでも言うべきものでした。

実験前はフィルミクテス門の菌群が優先していたのが、実験後にはバクテロイデス門に置き換わりました。

ビフィズス菌類は半減し、何より種の数が40%も減少していました。

 

ハンバーガーやフライドポテトなど、脂質と炭水化物が過剰なファストフードばかりを食べていると、その栄養の偏りで肥満すると考えがちですが、実はこの腸内細菌叢の変化が真の原因なのかもしれません。

これはまだ仮説の段階ですが「肥満型腸内細菌叢」「やせ型腸内細菌叢」のようなものがあるのかもしれません。

 

 

文明社会ではほとんどのところでは乳幼児の頃から抗生物質投与を受けており、それで腸内細菌叢の中のある種の細菌が減ってしまうということになっています。

しかし、これまでにそのような薬剤投与は受けていないという、未開社会の人々の腸内細菌というものは研究者たちの興味をひきました。

ベネズエラの山中で、これまで知られていなかったヤマノミの部族を発見した研究者は大急ぎで調査に訪れました。

もしも、他の文明人が薬や食糧を持ち込んだら彼らの腸内細菌が狂ってしまうかもしれないからです。

そして、その結果は驚くべきものでした。

それは、アフリカの未開種族での傾向とも似ており、バクテロイデス門の菌の比率が高く、またイタリア人にはほとんど見られないプロテオバクテリア門やスピロヘータ門の菌も見られました。

イタリア人には見られる、ビフィズス菌がまったく見られないという特徴もありました。

もっとも意外だったのが、彼らの腸内の大腸菌には28種の抗生物質耐性遺伝子が見つかったことです。

彼らが以前に文明人と接触したことが無かったというのは間違いないことでした。

それならなぜ、抗生剤の耐性があるのか。

実は、抗生剤というものはもともと自然の放線菌などの産物であり、それに対する耐性は自然の中でも発現することがあったからというのが理由のようです。

 

腸内細菌についての研究はまだまだ始まったばかりとも言える段階です。

これからますます有益な知見が得られていくのだろうと思います。

私の生きている間に「やせ型腸内細菌」とでも言う治療薬ができれば良いのですが。

 

うつも肥満も腸内細菌に訊け! (岩波科学ライブラリー)

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  • 作者:小澤 祥司
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  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

江川紹子さんが東京五輪来年開催について書いています

ジャーナリストの江川紹子さんが、熊本日日新聞に月一回「視界良好」と題したエッセイを書かれています。

どうやら他の新聞には転載されることもなく、またどうも熊日のネットサイトにはアップされる様子もないので、もったいないので内容を紹介しておきます。

 

7月31日付の記事の表題は「東京五輪 来夏開催できるか 議論のためのデータ示せ」というものです。

 

コピーしてここに転載することもできないことはないでしょうが、まあ止めておきましょう。

内容を要約して載せるだけにしておきます。

 

世論調査によれば来夏オリンピックが開催できると思っている人はわずか2割、7割は中止すべきか延期すべきと考えているそうです。

それでもメディアなどは一所懸命「あと1年」と言い続けています。

 

ワクチンの開発もかなり進んでいるとはいえ、来年までに途上国まで含めて世界中に供給できるという確実な見通しはありません。

日本国内でも来夏までに全国民に供給できるはずもありません。

もしも供給量が限られていた場合、医療関係者や高齢者を差し置いてオリパラ関係者に接種などと言うことが許されるかどうか。

 

各国でも選手選考が間に合うとも思えません。

多くの国では選手たちが練習すらできない状況です。

 

それでも日本政府は「安倍首相の花道」と位置付けられる五輪開催に固執しているようです。

入国制限が解除されない状況でもアスリートや大会関係者は特例入国を許す措置の検討を始めたとか。

さらに大会組織委員会会長の森喜朗は、「五輪をやめたら今の倍金がかかる」とか、「開会式を簡素化するのは放映権が売却済みだからIOCが応じない」とか、誰の意見か分からないようなことを言っています。

IOCの商業主義のツケをなぜ日本が背負わなければいけないのか。

 

そもそも、中止になったらどれだけの費用がかかるのか、決行するには追加費用がどれだけかかるのか。

そういった数字がまったく明らかにされていません。

 

加えて、人々のアスリートたちへの同情の想いが雰囲気づくりに利用されています。

開催1年前イベントで、池江璃花子選手を起用したのも開催に否定的懐疑的な声を抑える効果を狙ってのことでしょう。

多くの人が病苦と闘う彼女を応援していますが、その心情を利用するような組織委のやり方にはあざとさを感じると江川さんは言っています。

 

最後に、「自分が納める税金はこれ以上オリパラにつぎ込むのではなく、コロナ対策や熊本をはじめとする被災地支援に使ってもらいたい」と結んでいます。

 

あといくら金がかかるのか。

IOCが」と言えば黙らなければならないのか。

当然のことが語られていると感じます。

池江さんの映像にも同様の感想を持ちました。

とにかく必要なデータをすべて出して議論すべきでしょう。