爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

志村けんさんが肺炎で死亡、まだまだ終わりはしない。

新型コロナウイルスに感染したと発表があった志村けんさんが死亡したということで、テレビなどではそのニュースばかりとなっています。

感染が確認されてから死亡までわずか6日、その早さにも驚きますが、かつてのスペイン風邪、ペストなど大規模な感染の記録を見るかのような印象です。

 

不吉な予測ですが、まだまだ感染の広がりが止まらない以上は、これからも有名人の感染も続くでしょうし、中には死亡される方も出てくるでしょう。

 

細菌感染症の場合は不潔な場所に多く発生するということもあるでしょうが、コロナウイルスの場合はどこが危険ということもなくどこで感染が広がるかも分かりません。

 

有名人、金持ち、権力者といった人たちが犠牲になるかもしれません。

奈良時代に、藤原不比等の4人の息子が権力独占をしたのですが、相次いで天然痘にかかって死亡しました。

その状況がまた再現しないとも限りません。

 

なにか、嫌な思いばかりが心をとらえてしまいます。

「踊る『食の安全』」松永和紀著

科学ライターとして活躍しておられる松永さんの、これは早い時期の著作です。

2006年という時期は農薬に関しても色々な動きがあったころで、中国産の農産物に過剰な農薬が残留しているとして大きな問題にもなったことがありました。

また、農薬の規制が「ネガティブリスト制」から「ポジティブリスト制」に改められたということも農家を巻き込むことになりました。

 

さらに、「環境ホルモン問題」も話題となり農薬にそういった成分が含まれるのではないかと疑われることにもなりました。

また、ダイオキシンの毒性が問題となり、焼却場から排出されているとみられたのですが、これも以前の農薬に含まれていたということが話題になりました。

 

このような時期に、農薬と食品というテーマについての本を書いたのも、松永さんの食品に対する考え方から来たものなのでしょう。

 

本書の最初は「国産のわさびが消える?」という話題から入っていきます。

これは、「農薬の規制強化」さらには「ポジティブリスト制度施行」にも関わる問題でした。

ポジティブリスト制度とは、「作物により使える農薬の残留濃度を決め、それ以外の農薬は極めて低い残留濃度(0.01ppm)を越えてはいけない」というものです。

それ以前の「ネガティブリスト制度」では「それ以外の農薬は規制しない」というものでしたので、使ってはいけない農薬の取り締まりが非常に厳しくなりました。

 

ところが、「わさび」などのマイナー作物では「使える農薬」がなくなってしまったのです。

これは、農薬メーカーが農薬使用許可を取ることが困難になったからでした。

農薬を新たに認可してもらうには、様々な試験を行いデータを取り申請する必要がありますが、そのためには巨額の費用がかかります。

稲や果樹など、メジャーな作物の場合はそれだけの費用をかけても売り上げが上がれば元が取れますが、わさびなどのマイナー作物ではそこまでの売り上げは期待できません。

以前であれば、ワサビ用に登録された農薬以外でも使ってしまえたのですが、今後はそれ以外の農薬は「0.01ppm」以上検出されたら違反となるために使えなくなるということになったのでした。

 

「危険な農薬など使わなければよい」と考えがちなのが一般消費者ですが、農薬を使わずに作った作物は虫食いがあったり形が不ぞろいとなるなどの欠点が出てしまい、それを買わないというのも同じ消費者です。

「無農薬栽培」とうたってあれば虫食いがあっても、高く買うのですが、一般の農作物はそれでは買おうとしません。

このような消費者行動があるために農家も農薬使用をやめることができません。

 

農薬をできれば使いたくないというのは、農家が一番考えていることです。

現在の農薬は毒性も非常に低くなっているとはいえ、農家が使う場合にはある程度濃い原液を使うために作業も煩雑でマスクや手袋など厳重な防備をして行わなければなりません。

さらに、農薬の値段もかなり高いものであり、使わなくて済めば使いたくないというのが本音ですが、それでは売れる農産物が作れないということです。

 

かつての農薬には非常に毒性が強く危険なものもありました。

間違って指についた農薬原液を口に入れただけで死亡したという事故もありました。

しかし、新しい農薬では人体毒性はどんどんと低くなり、さらに対象とする害虫や病原菌以外には害のないものを開発しています。

このような「選択毒性」という考え方が強くなり、現在使われている農薬には「毒劇物」というものはほとんどありません。

 

本書発売からすでに15年近くがたっていますが、農薬をめぐる意識というものにはあまり変わりがないようで、「無農薬」を売り物にする飲食店や製品なども後を絶たないようです。

農薬の毒性被害というものも本当はほとんどないのですが、そういった真実が一般に理解されるにはまだまだ道は遠そうです。

 

踊る「食の安全」―農薬から見える日本の食卓

踊る「食の安全」―農薬から見える日本の食卓

  • 作者:松永 和紀
  • 発売日: 2006/06/01
  • メディア: 単行本
 

 

新型コロナウイルスに抗体検査キットが開発、販売へ。

新型コロナウイルスに感染しているかどうか、現状では鼻や喉から採取した検体にウイルスのDNAが含まれているかどうかをPCR検査によって分析していますが、ウイルスに対する抗体が血液中に含まれているかどうかを検査できるキットを開発しており、実用段階に入っているそうです。

jp.reuters.com

PCR検査は検体採取が難しく、偽陰性の危険性がかなり強いということもあり、また検査できる設備、担当者の数が限られていてなかなか検査数が増やせないという問題があります。

それに比べると抗体検査はかなり容易に、かつ速く結果を出すことができます。

 

また、すでに感染していても無症状で済んだ人が判定できることになり、その人はコロナウイルスを怖れることは無いということになります。

 

アメリカの会社でいくつか作られており、アメリカ国内はまだ使えないものの海外に輸出は始められているとか。

 

ただしまだ検討すべき課題は残っているようです。

この新型ウイルスに対する免疫がどれくらい持続するのか、検査の精度はどうか、どうやって検査を展開するのかといった問題は数多く残っているという。今のところ、ウイルスを撃退した人がどれくらいいるのかは分からない。 

これがウイルスを撃退することに直接つながるものではありませんが、社会を少しでも動かすことにはつながりそうです。

 

 

「NATROMのブログ」より、「布マスクはないよりマシなのか?」

相変わらず店舗でのマスクの品切れは続いており、なかなか入手が難しい状況です。

そのためか、「手作り布マスク」についてあちこちで見ることがあります。

(ただし、それに使う布やゴムも品切れ気味ですが)

 

布マスクなどはウイルスの大きさから比べればがら空きのスカスカなので効果など無いという話も聞きますが、その点の状況について内科医NATROMさんがブログに書いています。

natrom.hatenablog.com文科省が子供には手作り布マスクをと呼びかけたそうですが、もともと布マスクにはウイルス感染の予防効果は無いという話もあります。

 

WHO(世界保健機構)とCDC(アメリカ疾病管理予防センター)のレポートによれば、医療用マスクの代わりに布マスクを医療従事者が感染予防の意味で使うことには意味がないとされています。

 

ただし、これはあくまでも「医療従事者が自分は感染していない時に感染予防のため」という条件の話です。

普通の人が人ゴミの中に出かける時には一定の効果はあるようですし、自分が感染者でウイルスを撒き散らさないという目的には意味があるようです。

 

なお、よく言われているように「ウイルスが付着した手を無意識に鼻や口に持っていくのを避ける効果はある」というのは違うようです。

というのは、マスクをしている時にはしょっちゅうマスクを手で触れることがあり、マスクと手の双方にウイルスが広がることはよくあるようで、マスクを取った後に触れることはありそうですし、なにより目はマスクから出ており手で目をふれることを防ぐことはできません。

 

それでも布マスクには一定の効果があり、それは次のような理由からです。

「不足しがちな貴重なマスクを不適切使用で消費されるぐらいなら、布マスクでもしてもらったほうがありがたいということだろうか。」

皮肉たっぷりです。

しかし、これが一番真実に近そうです。

 

なお、布マスクに限らず高性能マスクでも、一般の人が使っている様子を見れば多くは不適切な使い方をしており、何の役にも立っていません。

マスクつけるなら鼻まで覆う。マスクをつけたら、そのマスクは汚染されていると考えるべき。触ったら手を洗う。外したときも手を洗う。できれば使い捨てだが、再利用するとしても、無造作にポケットに突っ込んだりせずに、慎重に密閉可能な入れ物に入れる

これを守らなければマスクをしても効果なし。

 

まあ、子供がいい加減な使い方をするのであれば、貴重な高性能マスクを使わせる意味はなく、布マスクでもさせておけという意味での文科省談話だということは、ちょっと考えすぎでしょうか。

 

NATROMさんは触れていませんが、高度にストレス状態の都会などではマスクをしていない人に対して近づかないだけならまだしも、咳をしたら殴りかかる人まで出てきているとか。

そういった連中対策のためにも、せめて布マスクをしておくというのは意味があるのかもしれません。

 

 

夢の話「国会議員になって権力争いを闘う」

ニュースが多すぎてそちらのコメントが多くなり、夢を見た話など書いている暇もなかったのですが、本日未明に見た夢は我ながら傑作なので書き留めておきます。

 

私は国会議員のようです。

もちろん、政権与党でやりたい放題の方です。

だからこそ?政治のことなどそっちのけで与党内部での権力闘争に明け暮れています。

 

近い選挙区のライバルがなぜかあの河井夫妻。

 

あのアンリの方が直接の敵対関係にあるのですが、その闘争というのが「支援者と秘書の引き抜き合い」

その方法がなぜかゲームのような感覚です。

 

秘書を見てボタンを押すとパッと画面が切り替わり?、「鞍替えさせる」とか「買収する」とかいったボタンを押すとそうなるという、いかにもゲーム感覚。

 

このところ外出も控えており家でゲームばかりやっているからでしょうか。

 

そして、めでたくアンリ議員の秘書を皆こちら側に引き入れたところでゲーム勝利。

 

しかし、よく考えてみるとアンリの秘書は起訴間近。

そんな奴らを自陣に引き入れたらこっちの方が危なくなるんじゃ。

 

夢の最後はいつもの通り。

パーティー会場のホテルでトイレに行きたくなり必死で探すという、現実に自分の膀胱が膨れ上がったのが夢の中まで影響して、ぱっと目が覚めてトイレに向かったのでした。

 

それにしても、政治家、官僚などまったく縁がない世界ですが、それが夢にまで出てくるとは。

昔のLPレコードのジャケット、その4

またもレコードジャケットについての話。

(これには、いつも通っている市立図書館が長期休館になっていることも関係しています。つまり、本が読めないので感想文も書けない)

 

中学生の頃に始まった音楽巡りは最初はビートルズサイモンとガーファンクル、そしてシカゴといったポピュラー音楽を聴いていましたが、高校時代にはジャズというものに移っていきました。

とはいえ、相変わらず情報源はラジオだけ。

普通のラジオ番組でジャズが流れるということはほとんどなく、真っ暗闇の中で手探りで進むようなものでした。

 

そんな中で、初めて買ったジャズレコードが次のものです。

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おそらくほとんど知る人もいないでしょうが、アメリカのトランペットプレーヤーのフレディ・ハバードという人の「Sky Dive」というレコードです。

彼はその当時はハービーハンコックとも一緒にプレーしていたようで、あまりシリアスになり過ぎず分かり易い演奏スタイルとでも言えるでしょうか。

 

その後、やはりトランペットと言えば当時すでに神格化されていたともいえるマイルスデイビスを聴きだします。

最初に買ったのがこれ。

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もちろん当時は試聴などできる条件はほとんどなく、中身が何かまったく分からないままえいやと清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買ったものです。

これも、マイルスが結構ほがらかに微笑んでいるジャケットで良いかと思って買ったのですが、内容はかなり進んでしまったもので、ほとんど良く分りませんでした。

 

その後、マイルスのレコードでも少し時間をさかのぼり、分かり易いものを聴くことができました。

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この中の曲などは、私にとってはちょうど心地よく聞こえるものだったようです。

 

(またさらに続く)

 

「風評被害」と「実際にある危険性」との違い

東京の新型コロナウイルス感染者数は毎日数十名ということで、もう一人一人についての報道はよほどの有名人でない限りはできないでしょうが、まだ熊本は8人目、けっこうその詳細が報道されています。

 

8人目となったのは住所不定無職という70代男性だったのですが、その居場所が問題がありました。

もはや家は無いという人物なのですが金は持っていたようで、ずっと熊本市内の温浴施設(日帰り温泉のようなものですが、24時間営業で休憩室に居続けることもできる)でした。

その施設では事実が分かった後で同室となった人に注意喚起する必要があるとしてそれを公表しました。

www.nishinippon.co.jp

ところが、その後はよくある話ですが、従業員の母親がデイサービスに通うのを断られたとか、子供が保育園に通えなくなった、従業員の夫が会社を休むように言われたということです。

これを報じた地元放送局のテレビニュースでは「風評被害」であり困ったものだとしていました。

 

ここで、ちょっと待てよと思うのが私の悪い癖。

 

従業員はすべてPCR検査を行い陰性が確認されたということですが、その検査結果が出るまでの間は当然ながら陽性である危険性も十分に考えられ、その従業員の家族も感染が疑われるのでは。

つまり、これは「風評」ではなく「実際にあり得る危険性」ではないでしょうか。

 

もちろん、検査で陰性が確認された後では、このようなことをするのはまさに「風評被害」であり、はなはだしい人権侵害で許されることではありません。

 

どうも、福島原発事故による放射能汚染問題で、多くの人権侵害事例が頻発したせいか、「風評被害」というものも槍玉にあげるのが当然視されているようです。

 

しかし、「風評」か「実際に危険性があるのか」はそう簡単に別けられるものではありません。

 

これもこちらのローカルニュースでの話ですが、少し前に阿蘇山が噴火をして火山灰を噴出したことがありました。

それが、山麓の温泉街にも降り注ぎ、そのために観光客が減った時期がありました。

これも「風評被害」と紹介していたのですが、これはまさに「現にある被害」です。

こう言っては現地の人々に申し訳ないのですが、観光旅行に行くのに火山灰が降り続けているところに行こうとはあまり思いません。

これも、放送局の報道での言葉の選択がややあいまいになっているように感じました。

 

こういった言葉の選択には、科学的な根拠も必要になりますが、そうであっても個人により判断基準は差があり、同じ状況であっても「風評」と感じる人もあれば、「実際に危険」と感じる人も出てきます。

原発事故の際の福島からはかなり離れた地域、関東地方でもそこが危険として避難する人もいましたし、その地域の農産物は大丈夫と考える人もいました。

専門家も一定の放射線強度を危険とする人もいれば大丈夫と考える人もいました。

 

今回のウイルスの場合は最初言われていたように感染力がインフルエンザより弱いわけではなく、かなり容易に感染してしまうようです。

だからこそ医者や看護師でも感染してしまう例が頻発していますので、警戒するのも当然でしょう。

とはいえ、危険が無い場合(と一般に考えられる場合)にも従業員の家族を拒絶するというのは直接人権問題となることですので、慎重に判断すべき問題です。

そこはきちんと情報収集を行ってから対処を決めるのが義務ともなります。

 

社会すべてを揺り動かすような大きな問題となってきました。

それぞれの人が真剣に行動を考える必要があるでしょう。

これは、買い出しに狂奔する人たちについても同様ですが、長くなるので触れません。