原子力発電は安全安心でエネルギー調達の重要な手段だということを、繰り返し新聞やテレビCMで見ていた覚えはあるでしょう。
しかし、2011年の福島原発事故でそれらは一旦消え去りました。
ところが気が付けば最近はまた目にするようになっています。
「プロパガンダ」と言えるようなそういった広告というものは、どのように生まれ発展してきたのでしょうか。
大手広告代理店の博報堂に勤務していた経験を持つ著者が、その知識も活かしてカラクリを明らかにします。
プロパガンダと言えば、通常の商業的な広告宣伝にとどまらず政治的な思惑を伴う宣伝広報戦略というイメージで捉えられます。
その典型的な例がナチスドイツに見られますが、別にナチスがプロパガンダを発明したわけではありません。
それ以前には他の主要国の方がよほどプロパガンダに力を入れ、ドイツは後進国だったようです。
しかし、ヒトラーはそれを反省しプロパガンダを深く考察し最大限に利用しました。
日本でも原発推進を決定した際、国民の原子力忌避の雰囲気を変えていこうとするために、プロパガンダを推進するということは不可欠でした。
日本で商業的原発が稼働を始めたのが1970年、そして原発プロパガンダは1968年に始まっています。
以来40年、実にそれに費やした費用は少なくとも2兆4000億円に上っています。
日本の巨大企業のソニーやトヨタなどでも広告宣伝費は年間500億円程度です。
企業規模ではそれらよりはるかに小さい電力会社が桁違いに多い宣伝費を費やしていたということは驚くべきことです。
しかも、その費用はすべて電気料金に乗せられていたということも驚きです。
原子力発電に批判的な人の電気料金からもそれが支出されていたことになります。
原発関連だけとは言えませんが、東京電力の年間広告費の推移があります。
1965年には7億円あまりだったものが、1979年スリーマイル島原発事故があったころからは年間50億円以上に、さらに1986年のチェルノブイリ事故の後には150億円から200億円以上に、そして2002年東電トラブル隠し発覚以降には300億円に達しました。
東電はトラブルや不祥事があるたびに広告費を膨張させてきたようです。
このような原発広告というものは、国民の原子力アレルギーを減らそうというのが最初の目的だったのでしょう。
しかし、それは徐々に目標を変えていきました。
このような巨額の広告費は、特に地方の中小新聞社、テレビ局にとっては大きなものです。
したがって、それを背景にメディアの反原発言論を封殺しようというものです。
特に、福井や福島などの原発多数設置の地方の地方新聞、テレビ局に対しては多数の広告を出し続け、そこの原発礼賛記事の多さは異様なほどでした。
その他の地域のローカル番組などで原発に異論を唱えるものもありましたが、そこには広告ストップを匂わせる圧力をかけ、経営陣から反原発論自粛をするように仕向けました。
1976年に田原総一朗氏がテレビ局を退社に追い込まれたのもその一つの例でした。
そんな中ですが、1987年に当時「広告批評」という雑誌を発行していた天野祐吉氏はそのような原発広告の危険性について敢然と問題提起していました。
87年6月号の同誌で、「原発事故がもし起きたら、絶対安全を売り込んでいる原発の広告はどうするつもりなんでしょう。”ゴメン”で済む問題ではありません」と書いています。
そこにはさらに高木仁三郎氏が多数の原発広告の欺瞞を上げるという記事もあったそうです。
そのような原発プロパガンダですが、さすがに福島原発事故以降しばらくは影を潜めていました。
しかし、2014年には早くも復活を始めたようです。
「原発を止めると割高な石油を多く輸入しなければならない」といったロジックで原発の必要性を主張しだしました。
その量はかつてほどではないのですが、それでも地方メディアにとっては無視できないほどの広告費です。
これらの狙いは、さすがに「国民に原発の安全性を信じさせる」ことではありません。
真の狙いは「メディアの批判を封殺する」ことにあるようです。
少なからぬ広告費を出してくれるスポンサーを批判する記事はなかなか書くことができません。
この時期に、それを少しでも止めさせる意味はあるようです。
このような動きに反対であれば、すぐには効果がなくても「メディアに対して抗議の電話をする」ことだそうです。
やはり世論に敏感なのがメディアですので、その風向きを変えさえることができるかもしれません。
また、金に縛られない真の意見を聞くことも重要ですが、これにはかなりの努力が必要なようです。
「無料の情報」には無料である理由があります。
そこをよく考えて選ぶことが重要です。