爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「英単語の世界 多義語と意味変化から見る」寺澤盾著

英語の単語には同じ言葉に多くの意味のある「多義語」というものが多いと感じます。

これには英語という言語がたどってきた複雑な過程から由来するものもあり、また日本語にも見られるような意味変化というものが関わっていることもあります。

 

英語の歴史というものを研究してこられた寺澤盾さんが、様々な例をあげて分かり易く解説しています。

 

なお、一つ注意すべきことは、「多義語」とは別に「同音異義語」というものも数多く存在するということです。

fanという単語には「熱心な愛好者」と言う意味と「扇風機」という意味があります。

英語の辞書を見てみると、

fan1 扇、扇風機    (fan1の’1’は小さな肩文字)

fan2 娯楽スポーツなどの ファン

と書かれています。

つまり、このfanは多義語ではなく別の由来であるということです。

実はfan1は西暦450年頃から続く古英語にもある単語で、「穀物を分ける”箕”(み)」を示していますが、fan2はフランス語から借用されたfanaticから派生した単語で、まったく関係がありません。

 

さて、「多義語」の方ですが、これはもともとの言葉の意味(原義)が時代を下るごとに様々に派生していくことによって生じます。

例えば「boot」という単語ですが、これには長靴、(自動車の)トランク、(コンピュータの)立ち上げ、新兵などという意味がありますが、これらは連想ゲーム的に使われるようになってきたことが分かっています。

1300年頃には長靴という意味でしか使われていませんでした。

それが、1608年に馬車の御者台、そして1781年に御者台の荷物入れ、さらに1933年に自動車のトランクと言う意味に転じてきました。

別系統で、職場から蹴りだすというところから1888年に解雇という意味で使われました。

また、コンピュータの立ち上げと言う意味では1984年に初出です。

 

こういった意味の変化は、言葉を使う人々の心理から生まれてきます。

物を何かに例えるメタファーというものが作用します。

身体の部分を示す言葉が色々なものに例えられるのは英語ばかりでなく日本語や他の言語にも見られます。

例えば、日本語で「目」はジャガイモの芽、針の穴、台風の目、蝶の目状の斑点、花の中心、船のへさきなどに使われます。

英語の場合は日本語の用法と若干異なる点もあり、日本語の場合は規則的に並んだ線や隙間も目と表現していますが(畳の目、碁盤の目)、英語では円形のものに限られているようです。

 

物を別の物に例えるメタファーではなく、物を密接な関係にある物に置き換える「換喩」というものもあります。

これは英語ではメトニミー(metonymy)と呼びます。

これも英語日本語を問わず数多くの例が見られます。

 

The kettle is boilling. ヤカンが煮えくり返っている。

もちろん、「ヤカン」が煮えくり返るはずはなく「ヤカンの中の水」が煮えくり返るのですが、英語も日本語も同様の対応を取ります。

 

英語では語形はそのままで品詞が変わってしまうことも頻繁に起きます。

たとえば、hammer (金槌→金槌で打つ)、bag(袋→袋に入れる)といったものです。

これを転換(conversion)またはゼロ派生(zero-derivation)と呼びます。

これもメトニミックな関係と言うことができます。

 

意味変化を考えていく上では、言葉を使っているうちにその評価が変化していくということがあります。

どの文化をとっても、あまり言いたくないタブーというものがあり、人間の死、性行為、排泄行為などに関わる表現は直接の言葉ではなく別の言葉で表す「婉曲表現」というものがあります。

亡骸を入れるひつぎというものは、coffinと呼びますが、これは本来の意味は「箱」というものでした。

それをひつぎの意味で使っていたのですが、今ではcoffin=ひつぎという意味に固定してしまいました。

するともはや婉曲表現とは言えなくなったということで、最近のアメリカでは「casket」と呼ぶそうです。これは本来は「小箱」と言う意味の言葉です。

 

日本語でもある例では、もともとは敬意を持った呼びかけの「貴様」「お前」が今では敬意などはまったく含まない罵倒語となっていることがあります。

これを「敬意逓減の法則」と呼ぶそうです。

 

 

さて、このように多義語が非常に多い英語なのですが、これを日本の学校教育では極力扱わないようにしているそうです。

これを「一語一義主義」と言うのですが、教育現場ではできるだけ単純に教えなければ生徒が理解しづらいということで仕方のないことでしょう。

しかし、そういった生徒が大学などに進学し現代の英語表現に触れるようになると相当とまどうことにもなります。

Every word in his poem is pregnant with meaning.

といった文章に触れると、「pregnant」で分からなくなります。

これは通常は「妊娠した」と言う意味でしか覚えていないのですが、ここではそこから連想した用法で「何かを内にはらんだ」と言う意味で使っていますので、文章の意味も「彼の詩のすべての言葉は含蓄に富んでいる」ということになります。

ある程度の段階で、言葉の意味は転用されていくのだということを教えていく必要がありそうです。

 

 

なお、本書あとがきの最後に、「父は本書の完成を見ずに逝去しました。父寺澤芳雄に本書を捧げます」とありました。

あの、寺澤芳雄さんのご子息だったのかと納得しました。

寺澤芳雄さんの本も読んだことがありますが、英語を深く捉えたものだったと思います。

父と子が同じ道を進む、まあ良い場合と悪い場合があるのでしょう。

 

英単語の世界 - 多義語と意味変化から見る (中公新書)