民俗学といえば伝統行事や風俗、言い伝えの妖怪などを扱うものといったイメージで、あまり21世紀にはそぐわないように思いますが、現代の様々な出来事は民俗学的に扱う方が分かり易いというものも多いようです。
民俗学者の畑中さんが、ネットメディアのWIREDjpに連載した「21世紀の民俗学」という連載に、最後にこれらの話が民俗学的にどう関連付けられるかを解説した最終章を付けて一冊の本としたものです。
「ザシキワラシと自撮り棒」
「ポケモンGOのフィールドワーク」
「すべての場所は事故物件である」
など、各章の題名だけ見ても興味をひかれるものでしょう。(好きな人にとっては)
ただし、扱っているのは一部の章ですが、やはり著者がこういった観点からの現代を描写しようとしたのは、あの東日本大震災と福島原発事故に触れてからのことでした。
インターネット上のSNSでも、なにかおどろおどろしい雰囲気、禍々しい瘴気のようなイメージを感じていたということです。
「景観認知症」という題では、日々変わっていく都会の光景の中で、これまであった建物が取り壊されて更地になってしまうと、そこに何があったかの記憶がすっかり消え去ってしまうということを書いています。
自身に身近な近所の光景、そこのそばを毎日歩いていたはずなのに、どのような建物であったかがさっぱり分からない。
これを確かめるツールがありました。
グーグルのストリートビューです。
更新されるまでは以前の光景が残されていますので、前の光景を振り返ることができます。
実は、これとまったく同じ体験を私自身もしていました。
熊本県南の田舎町でも時々は家が解体され更地となるのですが、やはりその前の建物の記憶がさっぱりないのです。
そして、私もやはりストリートビューで確かめていました。
「複数のアメリカ国家」という話では、ポール・サイモンの「アメリカのうた」(American Tune)という曲について語られています。
2008年のオバマの大統領選のテレビ放映キャンペーン用のフィルムのバックにこの曲が使われたそうです。
この曲は全然知らなかったのですが、この旋律はJ・S・バッハの「マタイ受難曲」の中のコラールから取られ、それに歌詞を付けているそうです。
ポールサイモンは他にも歴史的音楽や民族音楽を使うことが多く、有名な「コンドルは飛んでいく」「スカボロー・フェア」(これは知っていました)、などもそうです。
「アメリカのうた」は第二のアメリカ国家とも言われることがあるそうです。
決して明るいメロディーではなく、歌詞もネガティブなものですが、これを好むアメリカ国民もなかなかのものと評されています。
「河童に選挙権を」
民俗学といえば妖怪譚の方が有名ですが、それに絡めて「河童」や「天狗」にも選挙権が与えられるかどうかという話です。
民俗学の先達、柳田国男は妖怪の話も収集しており、天狗は実在したともしています。
一方、河童はこれまでの無数の水死者の霊ではないかと述べています。
そして、そういった「死者の投票権」にも話が及んでいました。
「国家は現在生活する国民のみを以って構成するとは言い難し、死し去りたる我々の祖先も国民なり。その希望も容れざるべからず。また国家は永遠のものなれば、将来産まれいずるべき我々の子孫も国民なり。その利益も保護せざるべからず」
これは柳田の1903年中央大学で行われた農業政策学の講義録にあるものです。
このような反省を何ひとつ持つことない連中が今の政治家です。
民俗学の眼を通してみる現代、なかなか奥深いもののようです。