戦後を出発点とすると、70年代と80年代とは人生で言えば25歳から45歳まで。
青年期、壮年期に当たります。
まさに70年代は「戦後」の青春期であったと言えます。
そして80年代は「働き盛り」の時代でしょうか。
それ以前の復興から高度成長期、そしてそのあとのバブル後遺症の時代の間で、戦後という時代を大きく変化させたものだと言えるでしょう。
そういった時代に何が起きたか、様々な印象的な事件や出来事が多いのですが、それぞれについて当事者や近い位置にいた人たちに語ってもらおうというのが本書です。
編者の市川さんはTBSの「編集情報」の編集長ということですので、やはりテレビ関係の出来事が多く取り上げられ、また執筆者にもその関係者が多くなっていますが、そればかりでなく広い範囲から選ばれているようです。
最初に語られているのは「テレビマンユニオンと万博の関係」というものです。
テレビ番組の製作というものは、かつてはテレビ局が直接行っていたのですが、今では番組制作会社と言うものが担当しています。
その最初であったのがTBSの退職者を中心に作られた「テレビマンユニオン」という会社でした。
そして、それがちょうど1970年であったということです。
さらに、その年は大阪万博が開かれた年でもありました。
そこに関係があったのかどうかは分かりませんが、パラダイムシフトという意味では共通であろうということです。
ちょうどそのころに大きな衝撃を世間に与えたテレビ番組が「巨泉前武 ゲバゲバ90分」でした。
それまでのテレビ番組とはまったく違ったものだと言えます。
この番組はアメリカのNBCテレビの「ラフ・イン」という番組を参考に作られたということは良く知られているようですが、もう一つのモチーフとなったのが「セサミストリート」であるということはあまり知られていないようです。
子ども相手には四コマ漫画は受けません。
2コマ、あるいは1コマでオチまで持っていかないと子供はすぐ飽きてしまいます。
それを取り入れたのがゲバゲバであったそうです。
なお、イギリスBBCの「モンティ・パイソン」をゲバゲバは真似したのではと考える人もいるようですが、実際にはほぼ同時に放映開始していますので、それは無理でした。
田中角栄が総理大臣に登り詰め、そしてロッキード事件で失脚するのもこの時代でした。
今太閤などといって持ち上げたマスコミも金まみれと攻撃しました。
文芸春秋に掲載された「田中角栄研究」が大きなきっかけとなったのですが、その著者の立花隆さんも執筆しています。
本人はその記事を「当たり前の仕事を当たり前にしただけ」と回想しています。
誰が見てもそう感じたはずだということです。
1981年3月には、中国残留孤児と言われた人たちの帰国が始まります。
当時NHKスペシャル番組部に所属し、戦争関係のスペシャル番組制作にあたっていた岡崎榮さんが書いていますが、その時の気持ちは「衝撃を受けた」というよりは「むしろ無関心に近い態度だった」と回想しています。
その無関心は「大地の子」という映像に触れてようやく奥に隠された当時の実態に気付き、その人々に対する態度も変わっていきます。
小説や映画、ドラマというものの力を感じさせる話でしょう。
「小説は読まない」などと言う私の態度も少し問題かもしれません。
1982年には中曽根内閣が始まります。
「中曽根政治とはなんだったのか」と題し、作家・評論家の保阪正康さんが書いています。
それまでの自民党内閣とはかなり違ったものを本人も追い求めて作っていった内閣でした。
組閣人事を決めた時点で、周囲はびっくりしたそうです。
ロッキードで灰色高官とされた、秦野章、加藤六月を堂々と入閣させるという、一見世間に対して挑戦するかのような態度に見えました。
また「不沈空母」発言など、アメリカ同盟を強化したいという発言を繰り返しました。
その方向性には疑問もありますが、何かを動かそうとした姿勢には一定の評価はできるでしょう。
今の、やるやると言って何もやらず、やらない方が良いことを焦ってやりだす能無し総理とは大違いでした。
1988年に上海郊外で起きた列車事故で、修学旅行中だった高知県の高校生が28人死亡したということは衝撃でした。
その後、補償を巡る交渉は非常に難航したそうです。
今の世界2位の経済大国となった中国とは全く違い、まだ発展途上とも言えないほどの国であった中国には日本での常識的な補償金など払える国力もなく、両者の金額の差は非常に大きかったようです。
日本側の交渉団長は弁護士の岡村勲氏、中国側は上海鉄路局副局長の孔令然氏(孔子の67代目の子孫)、交渉は数を重ねましたが、金額の差は埋まることがありませんでした。
しかし、交渉当事者の間には深い尊敬の念が生じ、交渉終了後には互いに漢詩を送り合ったそうです。
他に取り上げられたものもすべて昨日のことのように感じられるものばかりです。
まあ、怒ることも多かったのですが、共感することや感動することもあったように記憶しています。
怒ることばかりの現在とは大きな違いがあるようです。
1970年には私は高校生、そして1990年は子供が生まれ子育てに忙しい時期でした。
この70年代、80年代という時代は私にとっても思春期から青年期、感受性も高かったでしょうがそれだけでなく社会自体も大きく動いた時期だったのでしょう。