内田樹さんの「研究室」というブログに書かれていたのは、「Workers被災地に立つ」という映画の上映の際に映画館で話した内容だということです。
この映画についてはまったく知りませんでしたが、阪神淡路大震災後の被災地復興に関したものでしょうか。
それに関連し、話の内容もまず「公共とのかかわり方」ということから入ります。
内田さんはこの映画を古くからの友人平川克実さんという方に頼まれて2回見たということですが、平川さんという方も復興に関わった方でしょうか。
平川君は、国や地方自治体に頼ったり、力ある人から支援を引き出すのではなく、「弱者を支援するのは弱者である」とよく言っています。僕も同じ意見です。「公共を支えるのは公共ではなく、私人である」。
地域の復興と言っても、公共的なものは一人一人が支えていかなければならないということでしょう。
国や自治体と言った公共のものはあたかも政治家の物のように考えている人もいるようですが、もちろん政治家の物ではなく、我らの物でもない。
それは皆が「支える」ものだということでしょう。
「公共の社会」というものは、はじめからあったものではなく、そこに住む個人が少しずつ負担をしあって作り上げてきたものだということが、日本のようにいつからあるかも分からなくなった国では忘れがちなのでしょう。
さて、話は一転、少子高齢化に移ります。
実はこっちの話の方に非常に興味を覚えました。
高齢化ということばかりに目を奪われますが、その後には急激な人口減が始まります。
これは日本ばかりでなく韓国や中国なども直面している問題であり、中国の人口減は日本などをはるかに超える現象となるでしょう。
今の社会システムは「経済成長」があることを前提としている。
そのために、人口減少に対して取り得る政策は次の2つだということです。
1つ目、そしておそらく政府が狙っているのが「東京集中」策です。
すべての資源と人口を首都圏の狭い範囲に集める。人口が減っただけ集住する地域を狭くする。そうすれば、仮に人口が半減しても、都市の風景は今と変わりません。その代わり首都圏の外には無住の地が広がることになる。無住の地には交通や通信や上下水道のようなインフラを整備する必要がありません。行政コストは限りなく抑制できる。「人を狭いところに集める」、今政府が考えている人口減対策はそれだけです。小泉進次郎環境大臣が先日語った「もう人口減少、嘆くのやめませんか」と言うのは、具体的にはこのことです。
人口が減ったら、人が住む地域も減らす。
そうしていけば、どれだけ減っても今と同じような社会が維持できるということです。
もちろん、その他の地域は無人となるわけです。
そうすれば、そちらにかける費用も無くすことができ、人が集中して住むことができる地域だけに注力できることになります。
東日本大震災やほかの地方の被災地の復興を真面目にやらないのも当たり前。
そんな先々捨て去る地域に金をかけるのは無駄なだけだということです。
確かに今の政策はその方向で動いているように見えます。
原発事故被災地で除染で出た土をそのまま置いているのも納得できます。
そして、当然ながら内田さんは「もう一つのシナリオ」を最後に提示します。
それは「経済成長を目指さない定常化社会」です。
若者の中にはすでに直感的にこれを感じ取り地方移住して農業などを始めようという人も出ています。
「経済成長で一極集中」などと言う連中には勝手にさせておいて、放置された広々とした無人の地で自給自足の定常化社会生活を営む人々が本当に生き残る日本を作っていくというのも良い話でしょう。