豊臣秀吉の命で朝鮮半島に攻め入り、明軍や朝鮮半島の人々との戦いを繰り広げた、16世紀後半の戦役は日本では「文禄慶長の役」(さすがに最近は朝鮮征伐とは言わないでしょう)、韓国では「壬申倭乱」、中国では「抗倭援朝」と呼び方も様々です。
戦争をどうとらえるかということはその後のその国の歴史的社会的な立場によって変わってきます。
文禄慶長の役について、日本ではどのように表現されてきたか、そして韓国ではと考えていくことにより、明らかにしていこうというものです。
そのために、日本の江戸文化の歴史研究者の井上さんと、韓国の日本近世文学研究者の金さんが、共同で書き表した本です。
ただし、あとがきにも書かれているように、二人の著者の考えが完全に一致したとは言えないようです。
井上は「日本の文化史における壬申戦争の位置づけに興味を示す」のに対し、金は「伝統的な東アジア世界における日本の壬申戦争言説の位置づけに興味を示す」ということです。
しかし、無理にそれを統一しようとはしなかったようで、そのためか若干各章の間でのニュアンスの差が分かるものとなっています。
壬申戦争が明らかに日本の侵略であるということは、間違いのないことです。
しかし、日本ではそれを何とか言い換えることによって道義的な呵責を減らそうとしてきました。
朝鮮の王朝の腐敗、官僚の堕落、文化の爛熟などをあげて、「だから征伐されたのだ」と持っていくというのが多くみられる文章です。
それは、特に明治以降の朝鮮半島進出意欲の高まる時代に強くなっていきます。
江戸時代の間は、これを命じた豊臣秀吉を討ち果たした徳川の幕府であるという事情もあり、またその主力となった加藤・小西の両家やその他の大名の多くも改易、没落したものが多かったため、あまり遠慮する必要もなく、壬申戦争に対してそれほど擁護するわけでもなく批判するわけでもなく、興味本位の取り上げ方がされていました。
初期の頃には軍学者と言われる人々が戦争論の一環として語るということも顕著であり、例えば紀州藩の軍学者であった宇佐美定祐という人物が書いた「朝鮮征伐起」というものは、あくまでも事実として書かれたと自らが語っています。
しかし、その内容は日本側、朝鮮側の実録をもとにしているとはいえ、自らの信じる軍学の体系にそって取捨選択したもののようです。
これは、当時の軍学者というものが、実戦のための戦法の整理と教授といった用途のためのものではなく、殿様のお伽衆と言われる話し相手の一種として存在していたというのも理由であったようです。
それがその後民間にも出現し、庶民相手に娯楽として講談のように語られるようにもなってきます。
こういったものは歴史に題材を取ると言いながら歴史小説のように書かれたもので、その代表的な作家が馬場信意という人物でした。
馬場はこういった「軍書」と呼ばれるジャンルの代表作家ともいえるもので、17世紀末から18世紀にかけて多くの軍書を出版しました。
日本の戦争を取り上げたものも数多く、「義経勲功記」「曽我勲功記」「南朝太平記」なども書きましたが、朝鮮関係では「朝鮮太平記」というものを書いています。
そのネタ元としては宇佐美の朝鮮征伐起に加え、堀杏庵「朝鮮征伐記」、さらに朝鮮側でも「両朝平壌録」、「懲必録」といったものを参考にしているようです。
ただし、これらの原本をかなり編集し自分の方針に従って取捨選択はしています。
江戸時代も末期になってくると「絵入軍記」とか「絵本読本」といった、庶民向けの挿絵が多い本が増えてきます。
本によっては全体の45%を絵が占めているという、現在のマンガや絵本並みのものも出ています。
そういった中で、「絵本太閤記」というものが大変な成功をおさめるのですが、それにあやかろうと「絵本朝鮮軍記」というものも1800年に出版されました。
かつての軍書という文字ばかりの本と異なり、詳しく描かれた絵を見ると作者たちがどのように朝鮮という外国を捉えていたかも見えてきます。
絵本のなかでは、日本は「武の国」として誇らしげに描かれているのに対し、朝鮮は「長袖国」として長髭、長袖の風体で人物が描かれており、朝鮮と中国のの区別もあいまいです。
ただし、詳しく書かれている「絵本太閤記」では朝鮮通信使の模様を参考にされているようで、比較的正確に捉えられているようです。
これらの本の中では、それまで以上に加藤清正の英雄像が強調されています。
朝鮮の民衆に狼藉を働くのも小西行長の手勢であり、それを制止する清正という形で正当化されていきます。
明治になり朝鮮進出をもくろむようになると、それを応援するかのような新聞小説も出てきます。
当時の有名作家である村井弦斎の「朝鮮征伐」もそういった色合いのものでした。
村井の代表作は「食道楽」というグルメ小説で、最近のグルメブームで再評価がされていますが、それまではほとんど忘れられた作家でした。
しかし当時は新聞小説作家として大人気を得ていました。
朝鮮征伐の中でも対馬の宗氏の息子を主人公とする目新しさはありますが、話の中では朝鮮の悪政、戦いの備えを忘れた油断などを強調しているものです。
歴史の中の出来事を伝えるのは、その時代の雰囲気に左右されるものなのでしょう。