橘さんの本は何冊か読んでいますが、タブーも含めて微妙な問題を敢然と述べてしまうという感想を持ったのですが、この本では「リベラル」と「保守」というものを、論じています。
それも、これまで一般的に言われていたリベラル論とはかなり違った見方を取り、改めて目を開かせてくれるような論法で語られているので、興味深いものでした。
本書題名の「朝日ぎらい」、もちろんあの「朝日新聞社」です。
ネトウヨなどと言われる人々が最も嫌い、攻撃しているのが朝日新聞ですが、それがなぜなのか、それを原理的に分析しようというのが本書であり、別に朝日を擁護しようとか批判しようとかしているものではありません。
本書テーマは「リベラル化」と「アイデンティティ化」です。
「リベラルが退潮して日本は右傾化した」と言われますが、これは誤りであるということです。
世界でも日本でも人々の価値観は確実にリベラル化しています。
日本のいわゆるリベラル勢力が退潮しているのは、日本のリベラリズム(=戦後民主主義)がグローバルスタンダードのリベラリズムとは隔絶したものになっていったからです。
また、日本の右傾化の象徴としてネトウヨ族が取り上げられますが、彼らは保守=伝統主義とは何の関係もありません。
ネトウヨが守ろうとしているのは、日本の伝統や文化ではなく、自らの「日本人」という脆弱なアイデンティティです。
そして、興味深いのはこのアイデンティティ化というものが日本だけのものではなく、トランプのアメリカ、極右のヨーロッパでも共通していることです。
若者が右傾化し、安倍政権を支持する割合が高いと言われています。
しかし、安倍政権が主張してるのはまさに「リベラル化」なのです。
若者がリベラルを好むのは古今東西通例ですので、単にリベラルな安倍政権を支持しているだけだということです。
リベラル政党として、どの政党を意識しているのかを世代別に調べた調査があります。
それによると50代以上では最もリベラルなのは共産党、逆に最も保守的なのは自民党公明党と言う回答が多いのですが、20代以下では最もリベラルなのは維新の会でそれに迫って2位が自民党、と共産党などよりもリベラルだという認識でした。
安倍政権が、憲法改革、社会福祉改革、働き方改革等々、改革を連発しているのもリベラル特有の姿勢に見えます。
それに対し、旧来の制度を守れと言っている野党はリベラルではなくまさに「保守政党」となっています。
リベラルなら朝日と言われる朝日新聞ですが、リベラルが保守化しているというのは事実でしょう。
しかし、それだけで異様なほどの「朝日嫌い」が起きるはずはありません。
そこにはネトウヨ(ネット右翼)などに見られる「アイデンティティ化」が作用しています。
ネトウヨの主張で目立つのは次の3点です。
①韓国・中国に対する憤り(嫌韓嫌中意識)
②弱者利権の認識に基づくマイノリティへの違和感
③マスコミに対する批判
興味深いのは、この①の韓国中国というところを「歴史修正主義」と言い換えれば、そのまま欧米にも当てはまるところです。
アメリカの白人至上主義者たちの主張も、日本のネトウヨとそっくりであることは象徴的です。
白人至上主義者たちは、人種差別主義者とは言えません。
人種差別とは、他の人が自分より劣ると考えることですが、彼らは自分たちが虐げられていると思っています。
彼らには自分たちが白人であるということ以外に誇るもの(アイデンティティ)がありません。
彼らと同様に、日本のネトウヨたちは「自分が日本人であること以外に誇るものがない」からだと考えれば、その主張も分かりやすくなります。
ネトウヨが中国韓国に異常にこだわるのは、アジアで最も優れた民族という日本人の優越感を脅かすからです。
また韓国や中国に理解を示すような発言をした人物は、実は「在日韓国人・中国人」だという「在日認定」なるレッテル貼りをするという、意味のないことをしていますが、これもネトウヨが右翼などではなく「日本人アイデンティティ主義者」だと考えれば簡単に理解できます。
民主党政権が世界標準の外国人参政権を導入しようとしてネトウヨの総攻撃を受けました。
これも彼らが唯一それしか持っていない「日本人である」という価値を失わせてしまうからでしょう。
経済学者のアマルティア・センはアイデンティティというものが及ぼす影響の大きさに気が付きました。
そこで、複数のアイデンティティを持つことがその悪影響から逃れる方法だと論じています。
たとえば、グローバル企業で働く日本人が、嫌韓嫌中の議論を聞いて嫌悪感を抱くのは、彼が日本人としてのアイデンティティとは別に「グローバルビジネスパーソン」としてのアイデンティティも持つからでしょう。
アマルティア・セン自身が非常に多数のアイデンティティを持つ人でした。
「インド国民」「ベンガル人」「アメリカ居住者」「経済学者」「ハーバード大教授」「ノーベル経済学賞受賞者」等々です。
これらはほとんどセンの能力と努力で獲得したものでした。
しかし、実際は先進国でも新興国でも知識社会化が進み、そこにはついていけない人々が多数落ちこぼれていきます。
かれはにはもはやたった一つのアイデンティティしか残りません。
日本で言えば日本人であるというだけのアイデンティティ、それが残されたものです。
それは非常に脆弱なものであり、今にも壊れそうだからこそ過激な反応を引き起こしています。
安倍政権は一強体制を長く続けています。
そこには彼らのとった戦略が非常に優れていたということがあります。
国際社会では「リベラル」、若者に対しては「ネオリベ」、既存支持層に対しては「保守」、日本人アイデンティティ主義者に対しては「ネトウヨ」
こういったふうに相手により立場を使い分ける事により高支持率を確保してきました。
安倍政権を批判する人たちは、その「ネトウヨ」的な性格の部分を批判することが多いのですが、それだけでは他の面を適正に把握できていないのでしょう。
アメリカではトランプ支持者と批判者が真っ二つに別れています。
支持者が保守層、批判者がリベラルと言えるでしょう。
実はアメリカでは居住地によって社会階層がはっきりと別れてきています。
ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ、ロサンゼルスの富裕層の居住地区では、他の地区とは異なり純粋リベラルと呼ばれる層が圧倒的に多いという特徴があります。
これらの地区に住む新上流階級とも言える人々がトランプを支持するニュープアと対立しているということが、アメリカの分断ということです。
これは、IT産業など新興産業に積極的に関わっていこうとする性向とも関連します。
これらの新しもの好き(ネオフィリア)という性格は、リベラルというものとも強く関連しています。
そのために、ネオフィリアは社会的に成功していることが多く、収入も高くなります。
逆に新しいもの嫌い(ネオフォビア)という人々も多いのですが、彼らは新しい産業にすぐに飛び込むこともなく、稼ぐことも下手です。
それは保守としての行動を取ることになります。
このようなネオフィリアとネオフォビアというものは、遺伝的にも別れていきました。
ただし、常にネオフィリアが有利というわけでもなく、危険なものに手を出して破滅するということも多かったために、現代まで両者が共存しています。
リベラルと保守の争い、なかなか奥の深いもののようです。