爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「子どもの脳と仮想世界」戸塚滝登著

著者の戸塚さんは小学校で教諭として教育に携わるかたわら、極めて早い時期からパソコンを教育に取り入れるということを行ってきました。

また、脳科学の最新の研究論文のチェックも怠りなく、幅広い知識をお持ちのようです。

 

世の中はあっという間にネット化が進み、大人だけでなく子どもの中にもその生活の隅々にまでネットが入り込んでいます。

ネット自体が「仮想世界」のようなものですが、中でもネット内のゲームは子どもの心を強く捉えていますが、これなどまさに「仮想世界」の中で遊んでいるようなものです。

遊びは遊び、実生活は別にあるということがきちんと意識されて実践されていればまだ大丈夫なのかもしれませんが、どうなのでしょう。

著者の戸塚さんの長年の小学生教育の中での見聞、そして脳科学の最新の成果を見ていくと、どうやら仮想世界と子どもの脳の発達というのは思ったよりはるかに大きな関係があり、それは恐ろしい未来を予測させるものです。

 

「ちびデジタル子ちゃん」とか「グーグルちゃん」などと表現していますが、最近の小学校の教室では、ネットに浸かりきった子どもが増加し、彼らがネットで得た知識が子どもの世界をかき乱しています。

ネット知識というものが、実体験で掴むべき自然界の発見を奪ってしまいます。

子どもが初めて見て驚き、自らの血肉とすべきものを「そんな事知ってるもんね」という子どもたちが崩していきます。

先生たちは、どうにかして彼らを実体験に導こうとしますが、ネットで探した方が簡単だと思い込んだグーグルちゃんたちは、一生自分の脳で考えるということをしないままになるかもしれません。

 

ただし、教師の間にもそのような「実体験重視」の保守派先生はそろそろ年齢が退職に近づいていき、ネット活用の方が容易いと言う「進歩派先生」が増えてきています。

 

2004年に長崎県佐世保市で起きた、6年生女児が同級生を殺害するという衝撃的な事件が起きました。

これにもネットが関わっていました。

加害女児は自分のホームページが荒らされ、中傷メールが仲間たちに回覧されたのが被害者のせいと思いこんで犯行に及びました。

1999年、アメリカのコロラド州コロンパイン高校で起きた15名が殺害された事件もネットオークションで入手した銃を持ち、ネット上の爆弾製造サイトを見ながら作った爆弾を持った少年たちが起こしました。

他にも「ネットいじめ」が引き起こした自殺、報復殺害事件等、激しいものが起きています。

実生活で肉体的な暴力もまじえたイジメ事件も多発していますが、ネットいじめはそれよりも過激に走りやすいようです。

これには、ネット上での「仮想人格」が実際の人格よりも極端になりやすいことが影響します。

 

心理学や脳科学の研究で、人が死ぬかもしれないという状況で判断させるという実験が(もちろん仮想の状況でですが)行われてきました。

「暴走トロッコ問題」などがそれですが、これらの研究の成果として得られたのが「モラル判断を下すのは前頭葉腹内側部皮質であり、合理的な思考をする前頭前野背側部皮質とは別の場所であること、そしてそれは人類の進化の中で先に発達したのではないかと見られているようです。

さらに、前頭葉腹内側部皮質は子どもの時代にはきちんと機能せず、発達するのが遅れてようやく思春期が来る頃にやっとうまく機能するようになるということです。

つまり、思春期以前の子どもの頃に「ゲーム感覚」で重大なモラル違反のような体験をすることは、大人がそれを実行するのとは意味が異なり、実体の心理にも大きな影響を及ぼしかねないということです。

 

約半世紀前、アメリカの心理学者ミルグラムが「バーチャル拷問実験」というものを実施しました。

もちろん、本当は通電してはいない装置のスイッチを被験者に持たせ、それを押してサクラの被害者に電気ショックを与えさせるように命令するというものです。

ナチスドイツのアイヒマンの裁判で明らかになった「命令されれば何でもやる」というのは本当かどうかを調べるというものでした。

巧妙な実験方法を考えて、サクラの被害者も演技力のある俳優を使いましたが、命令されていくうちに被験者はどんどんとためらいなく通電スイッチを押すようになりました。

ところが、これが生身の被害者を前にした実験ではなく、ネットゲーム風の状況の中では、被験者は何のためらいもなく、始めから進んで通電スイッチを押しました。

「ゲームだから良いじゃない」という判断です。

このような「ゲーム感覚」というものは、実は道徳感覚や倫理感覚を喪失した時の脳の状態そのものだったのです。

 

このような「仮想世界」では何でも起こりうるものです。

そして、その「仮想世界」がやがて徐々に「現実世界」にも染み出してくるのです。

上記のように、子どもにはまだ本当のモラルはできあがっていません。

それは親や教師、地域の人たちが教え、自分で獲得していかなければいけないものです。

それが思春期までの子どもの頃のわずか10年ほどの間に完成させなければならないものです。

 

子どもの勉強の能力は年令によって変わっていくということは知られています。

「どんでん返しキッズ」という子どもたちの存在は教育者の間では常識ですが、掛け算の九九がうまく覚えられなかった子どもがその後中学高校に行くに従って数学の能力が急激に進歩し技術者や研究者になるということもよくあることです。

逆に、10歳の壁というものがあり、そこまでは算数ができていた子どもたちがその年齢になると壁に突き当たって算数ができなくなるということがよくあります。

実際は、そちらの壁で突き当たる子どもの方が大多数で、急激にできるようになる子はごく一部のようです。

アインシュタインが子供の頃には勉強ができなかったり、屈指の数学者と言われたクルト・ゲーデルが小学生時代には計算を間違え成績も低迷していたということはよく知られています。

どうやら、子どもから思春期になる頃に、人間は自分の脳の構成を変えていく性質があるようです。

前頭葉シナプス密度は子供時代には成長を続けて12歳頃に最大に達します。

しかし、その後の思春期の頃には逆にシナプス密度が低下していきます。

どうも、この時期に個人ごとに異なる脳の使い方に合わせるようによく使う部分を残して使わないところは削ぎ落としていくのではないかと考えられています。

 

子供時代から思春期にかけて、人間の脳は発達と進化を続け大人にふさわしいものへと変わっていきます。

この時代に、自然の実体験や、人と人との関係などを教え込み人間としての脳に発達させなければならないのですが、そこでネットの仮想世界に浸りきったらどうなるか。

場合によっては恐ろしい脳になっていく危険性もあるということでしょう。

 

子どもの脳と仮想世界―教室から見えるデジタルっ子の今

子どもの脳と仮想世界―教室から見えるデジタルっ子の今

 

 著者の長い教師体験で出会った、多くの子どもたちのエピソードも語られ、興味深い内容でした。