キリスト教徒の両親の影響で幼い頃から聖書に親しんできた著者は、その後も長く聖書に親しむ会を主催していましたが、日本人の聖書というものに対する感覚はいまだに「よく分からない宗教書」と言うものです。
著者は、その後イスラエルに留学しますが、ユダヤ人の聖書に向ける感覚はキリスト教徒とは全く異なることに気づきます。
ユダヤ人はいわゆる旧約聖書のみを「聖書」と位置づけており、その読み方も「民族史」であるかのように扱っています。
確かに、その中身は当時としては民族の歴史そのものであり、これを紀元前の頃に強烈に意識していたというのは他の民族には見られない特徴でした。
この本ではそういったユダヤ人の聖書に対する思いを詳しく解説しています。
天地創造の物語を書いたのは、紀元前6世紀にエルサレムからバビロンに捕囚されてきた人々でした。
バビロンではその数千年も前から文字が使われていたので、その影響を受けています。
書いたのはユダヤ人の中でも祭司の階級の人々でした。
この中で、神はただ「神」とのみ呼ばれています。
その後に書かれた「エデンの園」と「失楽園」の部分では神は「ヤハウェ神」と呼ばれています。
聖書学者の間では、この部分を書いた人々は「ヤハウェイスト」と呼ばれています。
天地創造を書いた祭司階級とは別であると考えられています。
この2つのグループはそれ以降の聖書の中でも別々に書き残しているということです。
なお、バビロンでは他の諸民族と同様に多神教が信じられていました。
ユダヤ人はすでに一神教を採っていたのですが、天地創造の中では一部に「神々」や神が「我ら」と呼んでいる部分があり、混乱が見られます。
ノアの洪水のエピソードは、メソポタミアの先行する文明にも同様の記述があり、実際にその地方で起こった大洪水の記憶を取り入れられたのであろうと推測されます。
しかし、その洪水で地上のすべての生き物が死に絶え、ノアとその子孫、ノアの方舟に乗せられた生物の子孫のみがその後の世界の生き物であるということにしたために、ノアの息子がユダヤ民族だけでなく他の諸民族の開祖となるということにせざるを得ませんでした。
ノアの息子はセム、ハム、ヤフェトの3人であり、その名の通りセム民族、ハム民族とヤフェトの末裔となるギリシャやコーカサス等のインドヨーロッパ語族の祖先となったとされています。
興味深いのは、イスラエル人が住むようになったカナン地方の先住民族であるカナン人は3人の息子の中でも一番貶めれているハムの子孫とされているところです。
実際にはイスラエル人とほとんど同じ民族であるはずなのですが、最も近いところにいたために衝突することも多かったのでしょう。
そのような民族の来歴を語る「民族表」というものが聖書の最後に付されています。
当時の彼らの考えによる全世界の全民族の家系を、イスラエル人が勝手に作り上げたものですが、後世の民俗学者がその「セム」と「ハム」を実際の民族系統の名称に使ってしまったために混乱が起きてしまいました。
カナン人はイスラエルと同様にセム系になるはずですが、イスラエル人がもっとも敵意を持っていたエジプト人の属するハム系に無理やり入れてしまっています。
このように、ユダヤ人の記した聖書(旧約聖書)は、ユダヤの民族史そのものとも言えるものです。
それを捉えた上で新約聖書というものも読んでいかなければならないのでしょう。