爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「もっと言ってはいけない」橘玲著

人種による能力の差ということを言うだけでも問題となるようです。

「黒人は足が速い」ということすら、公言することははばかられるようです。

「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?」デイヴィッド・エプスタイン著 - 爽風上々のブログ

 

しかし、この本では著者の橘さんは、敢然とそのタブーに挑戦しています。

しかも、「人種と知能」という非常に過激な分野で。

 

欧米ほどではなくとも、日本でも「言ってはいけない」ことはたくさんあります。

知能は遺伝する。精神疾患は遺伝する。犯罪性向は遺伝するなど、本当だと思っていても言ってはいけないことでしょう。

 

最初のプロローグからガツンと衝撃の事実をぶつけてきます。

OECD主催の先進国を主な対象とした成人の能力を測るという調査が行われました。

その設問の一例では、「図書館のホームページにアクセスし、リストにある本の著者を回答する」というものがありました。

こんな子供だましのようなものでも、日本人の3割近くができなかったのです。

ただし、それでも各国の中では日本が一番優れており、他の国ではこのような課題にも半分近くができないということです。

 

実は、日本が一番優れているといっても、「3割の日本人は日本語の文章が読めない」と言うことです。

こういった事実が明らかになると「教育が悪い」となりそうですが、この調査の対象は広い年齢層の成人であり、実は「昔から駄目なものは駄目」だったことになります。

 

怖いのは、こういった理解力の乏しい大人たちでも民主社会では投票権を持っており、特にこの調査で低い能力の割合が高い国々では「ポピュリズム」政党が勢力を伸ばしていると言えることです。

単純な主張を繰り返し、考えずに同意できるような分かりやすい政策を売り物にするような、ポピュリズム政党は、どういった支持者を持っているか、そこが重なって見えるようです。

 

本題は「一般知能」つまりIQテストで測れるような知能指数の国や民族による差を論じています。

IQテストなどは人間の本当の知力を測るものではないとも言われますが、何らかの能力の指標であることは間違いないものです。

イギリスの認知心理学者、リチャード・リンは世界各国の知能テストのデータを収集し、時には自らそれを対象国で実施し、2006年にまとめました。

その数字自体は驚くほどのもので、ヨーロッパ系白人の平均がIQ100程度、北東アジアが一番高く105以上であるのに対し、サハラ以南のアフリカでは70程度、欧米諸国にアフリカ系は80と、国と地域、人種により大きな差が出ています。

案の定、リンは欧米のリベラルから大変な攻撃を受けています。

しかし、このリンの調査はデータ数が少ないとは言え、その手法に問題はなく、あえて反論するならばIQというもの自体を否定する他なくなっています。

 

ホモサピエンスはアフリカに誕生し数万年前にそこを出発して各地に広がりました。

その最初の出アフリカを果たした人数は1000人程度とも言われます。

そこにはそれほどの知能の差は無かったはずです。

しかし、そこからあちこちに流れて行く間に徐々に色々な差が生まれてきました。

知能の差もそこで広がっていったと考えられます。

 

ユダヤ人は知能が高いと言われています。

しかし、イスラエルに在住の人々のIQは先のデータで95程度とそれほど高くはありません。

ところがアメリカ在住のユダヤ人はそれが115とかなり高いものになっています。

これには、ヨーロッパで迫害を受けた中で、うまく立ち回ってアメリカに逃れることができた人々は知能も高かったからだとしています。

 

北東アジアの中国人、韓国人、日本人などもIQの高い一群を形成しています。

これには生産力の高い稲作が昔から採用され、そのために人口密度が高まり社会も複雑化したことが、ちょうどIQのような能力を育てることになったのではないかと分析しています。

 

読んで非常に面白い内容を含んでいますが、それでもこれを人に話すとまずいことになるかもしれません。

 

もっと言ってはいけない(新潮新書)

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