著者の三輪さんは長く新聞記者をされていました。
ほとんど九州・山口の地域だったそうですが、そこは特にこれまでは自然の恵みに恵まれた地域で、海産物などは独特のものも多くそれを生かした料理も名物となっていました。
しかし、多くの地域でそのような生物が住める環境が壊されていき、それらを食べるという楽しみも失われてしまっています。
有明海、八代海という干潟の多い海に恵まれていた九州は、アサリなどの貝類が非常にたくさん採れていたところでした。
しかし、そのような干潟は干拓などにより失われていき、貝類も生育場所が無くなっていきます。
全国のアサリの漁獲量は、1986年までは10万トン以上あったのですが、その後激減し、2001年には3万トンあまりにまで減りました。
ハマグリはそれ以前の1957年に2万5千トンであったものが、その後激減し2001年には1245トン、2006年の867トンを最後に漁獲量統計もできないほどになりました。
著者がちょうど記者として取材していた長崎の諫早湾干拓事業での潮受け堤防閉め切り、いわゆる「ギロチン」工事のあと、その内側になった区域での死滅した貝類の殻が無数と言えるほどの量でした。
それでできた農地で誰が何を作っているのか、さほど重要とは思えないような営農となっています。
あとから付けられたような「防災」という理由も、どんな効果があるのかはっきりとした説明はありません。
しかし、それで失われたものは途方もなく大きなものでした。
諫早湾は有明海につながる大きな干潟で、干満差が6mという大きなものだったので魚や貝が産卵し幼生が育つ「ゆりかご」のような場所だったそうです。
それを潰した干拓は大きな影響を有明海全体の生態系に及ぼしたのでしょう。
陸上でも、里山や草原などの環境から得られるものが和食の食材となり豊かな食生活を支えていたのですが、そのような環境は荒廃し食材も得られなくなりました。
ドジョウやウナギ、キノコやタケノコなど、自然に生きていた環境はなくなりました。
生物の多様化というと抽象的ですが、このような食材が失われるというと誰にでも分かりやすいのではないでしょうか。
「食べ物がなくなる」から生物多様性が大切というだけではちょっと困ったものですが、誰にでも分からせるためにはこういう言い方も必要なのかもしれません。
しかし、それにしても「和食」というものが畜肉や穀物野菜のような「人間が生産する」ものだけでなく、自然が生み出すものに大きく依存しているということを示すものでしょう。
それを平気で潰してしまった、和食が存立の危機というのも当然の話です。