爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「暮らしに生きる 熊本の方言」秋山正次、吉岡泰夫著

他の地方の方から見れば九州の方言など皆同じに聞こえるかもしれませんが、福岡、熊本、鹿児島そして他の地域の言葉も相当違うものだということは分かります。

そして、熊本県内でも一つの「熊本弁」(肥後弁)でくくられるようなものではなく、細かく見ればかなり違うものであるようです。

 

この本は、熊本の地域の新聞社、熊本日日新聞社が県内各地の方言を網羅し生きた形で残そうという意図で、当時の熊本大学教授の秋山さんと熊本短期大学助教授の吉岡さんが昭和63年に約1年間新聞紙上で「肥後の方言探訪」という連載で掲載した内容にさらに書き下ろしで「熊本の方言概説」を加えて一冊の本とし、平成2年に出版したものです。

 

熊本県は中心部に熊本市、北部には玉名・菊池、東北部に阿蘇、南部に八代・水俣、南東部に人吉・球磨、南西部に天草という地域があり、それぞれその周辺の地域との交流も有って言葉というものは微妙に違っているようです。

 

それらの地域を訪ね、地元の人々の生の暮らしの中での会話を収録し、それに解説を加えるということを、県内各地の47地点で実施しました。

その対象として、従来の純正の方言といえば高年者の言葉なのでしょうが、それに限らずに中年から若年層、中には小学生の言葉も取材されており、昭和末期の様々な年代の言葉を集めています。

やはり当時の老年者の言葉には今では失われたような言い回しもあり、それはそれで貴重な記録なのですが、当時の子供の言葉も東京からの影響がある中で熊本独自の言い方を作り出しているという、生きた言語の姿を見せてくれます。

 

口述語のそのままを描こうと、表記にはかなり苦労をされた様子です。

意味が分からなければ困るので漢字表記も取り入れていますが、それにルビで読み仮名をつけています。

また、微妙な発音のニュアンスの差を出すため、カタカナで表記するものもあります。

ただし、そのような表記で元の語り口が蘇るのは、それを聞いたことのある熊本県内の人間だけかもしれず、他地方の人には少しハードルが高そうです。

 

例えば、玉名郡南関町の80過ぎらしき老夫婦と50代の嫁さんの会話。

姑「もう、ほら、田植えまじゃ、馬もしんどするモン。伯楽(はくらく)さんば雇うち、灸(やと)すえちもらいよったタイ。」

嫁「そっで、作りあがったなら、さなぶりどんすうだいて言うごたる風タイナ。」

 

少しはその雰囲気が伝わるでしょうか。

 

中心部の熊本市周辺の熊本弁が熊本での中心だとしても、他の地域にはその周辺部からの影響があります。

北部には福岡方面の、阿蘇地域には大分から、南部の水俣には鹿児島から、そして人吉にはさらに鹿児島の影響が強く、天草には長崎方言の影響が見られます。

熊本市を中心とした北部方言と鹿児島の影響が色濃い南部方言との境界が八代市付近なのですが、細かく見ると球磨川を境に違うがまた地域によっては入れ替わりもあるなど、かつての人の動きが今に残っているようです。

 

なお、かつて江戸時代の薩摩藩の厳しい国境封鎖の影響で、熊本南部は薩摩弁とはかなり違うと考えがちですが、江戸時代以前には人の交流も多くかなり共通した一面も残されているようです。

 

後半の「熊本方言概説」には著者の研究成果とみられる学説が紹介されており、独特な語彙が古語の影響が強いとか、敬語の地域差の問題など、興味深い話が語られています。

なお、熊本弁の平板式アクセント、つまり高低のアクセントが無いという点についても紹介されていますが、これがなぜかというところまでは分かっていなかったのでしょうか。

独特な語彙というのも確かに面白いものでしたが、私が熊本弁に触れて一番驚きだったのがこの平板式アクセントでした。

これがなぜ生まれて残っているのか、不思議なものです。

 

暮らしに生きる熊本の方言

暮らしに生きる熊本の方言