爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「クルド人を知るための55章」山口昭彦編著

イラク、トルコ、シリア、イランの国境地帯に住む、クルド人という人々についてはあまり知られてはいませんでした。

しかし、紛争が相次ぎさらにISがその地域で勢力を広げるという事態になったためか、最近ではその名を聞く機会が多くなってきたようです。

 

クルド人はこれまでまとまった国を持つ機会がほとんどありませんでした。

彼らが多く住むところを「クルディスタン」と呼ぶこともありますが、それも国の名前ではありません。

人口は4000万人とも言われますが、正確な数字は誰も知りません。

クルド語を話し、自らがクルド人であると考える人がクルド人であるという定義しかないのですが、そのクルド語自体も方言が数多く方言の間には大きな違いがあるために相互の意思疎通ができない場合もあるようです。

 

クルド語はイランの言語であるペルシア語に近いと見られていますが、その民族的な関係は不明であり、自らはペルシアとは別に存立したメディア王国と関連付ける説もありますが明確ではありません。

しかし、イスラム教が勢力を延ばし始めた頃の記録に、イラクからイラン北部の山岳地帯に住むクルド人を打ち負かしたという表現があるため、少なくとも7世紀頃にはそう自称する人々が居たようです。

その後、多くのクルド人イスラム教を受け入れ、ムスリム王朝の中で勢力を伸ばす人も出ました。

12世紀のサラディン、サラーフ・アッディーンは歴代のクルド人の中でも最も有名な人物でしょう。

十字軍と戦って撃退し、その後アイユーブ朝を開き、シリアやエジプトに勢力を伸ばしますが、クルド人を王朝には迎えたもののクルド人の王国とまでは言えなかったようです。

 

その後も、イランとトルコがそれぞれ一つの帝国を形成して互いに勢力を競う中で、そのちょうど中間に位置するクルド人は双方から軍事的に重要な存在とみなされ、懐柔されたり逆に討伐されたりと言った処遇を受けます。

しかし、その中間に自立する国を立てるということはなく、両陣営の勢力争いに翻弄されることになります。

 

また、オスマントルコが没落しトルコ革命が起きた時には、クルド勢力も革命派に協力したのですが、その後はやはりトルコへの服従を迫られて反発し、反乱軍扱いをされたまま現在まで至っています。

イラクの北部はクルド人の多い地域ですが、湾岸戦争イラク戦争といった戦争にからんでクルドの勢力が翻弄されます。

さらにIS(イスラム国)がこの地域を拠点として力を伸ばした際は、最初はイラク政府軍を撃退するのに歓迎することもあったのですが、やはり両立はできないとして激しい戦闘に至りました。

クルド人のなかでもイスラム教徒以外の人々はISにより大量に虐殺されたり、女性を拉致されたりといった被害が出ています。

 

トルコやシリアの情勢悪化のため、世界各国に逃れるクルド人が多く、ドイツやオランダでは多数の亡命クルド人が暮らしているそうです。

日本にも逃れてくるクルド人が居ますが、日本は難民認定をしようとはせず、苦しい立場に追い込まれています。

特に、トルコとは日本政府は友好関係が強いために、トルコから逃れたクルド人は決して難民としては日本で認められないようです。

 

最後には、クルド人の文化としてその言語、文学、音楽なども紹介されています。

幅広い情報を得ることができますが、実際にはよくわからないといった方が確かでしょう。

 

クルド人を知るための55章 (エリア・スタディーズ170)

クルド人を知るための55章 (エリア・スタディーズ170)