ソフトバンクの孫正義氏が「日本はもはや後進国」だと言っているそうで、それを取り上げて論評している人もいるようです。
お前がそう云うか「孫」と言いたいところですが、それはさておき。
「先進」「後進」とは、どこかに向かって進むという価値判断を踏まえた上での分類でしょう。
上記記事では、「豊かか貧しいか」「技術力があるかないか」といったところを「先進か後進か」と表しているようです。
世界の中で比べて豊かであれば「先進」なのか。
おそらくこの「豊かさ」というのは、経済的に富をかき集めているかどうかということなのでしょう。
してみれば、世界の弱い国、貧しい国から富を集めることが「先進」なのでしょうか。
「日本はすでに後進国」というのは、今や他の「先進国」(中国?)に富が吸い取られているという意味なのでしょう。
そのような「先進国」はこれからどこへ進んでいくのでしょう。
世界の他の後進国から富を集めるだけ集め、それが進めば進むほど世界の不安定性は増すでしょう。
そこから世界大戦に進むか、そこまで行かずともテロの応酬に進むのか。
そういった地獄へ「先に進む」のが「先進国」ということなのでしょうか。
現代文明というものは、さらに資源や環境、財政などの面で「後の世代から富を奪っている」という「世代間倫理」を破っている性質を色濃く持っています。
後の世代が使うべき石油などを、すべて現世代で使い果たそうとしていますし、ナノプラスチックのゴミを無数に排出しその処理を次世代に丸投げしています。
さらに、現世代で返すつもりもない負債を積み上げ破綻をも予定に入れているかのような政治を、多くの国で続けています。日本が一番ひどいのは確かですが。
このような「世代間倫理」にもとる行為を「先進」で行なっているとしたらどうでしょう。
後進国であれば、何十代も後の世代でようやくその不利益が現れるかもしれないものが、「先進国」では自分の子どもたちの世代に破綻を起こさせる危険性すらあるのでしょう。
上記記事での「技術力」の扱いも、経済競争力に限っての話でしかないのでしょう。
同様に見える製品でも高い技術力を持ったものを作ればたくさん売れるということを示しています。
技術というものは、そのような経済性だけで考えるべきものではないと信じますが、今ではそういったものでもすべて「競争力」としか見えないのでしょう。
私は繰り返し述べていますが、「経済成長」は必ず「崩壊」を招くというのが「有限の地球」での真実です。
そのような制限がある世界では、「先進」は一時的には世界の富を集めるようで有利に見えますが、実際は「崩壊」を早く招いているだけです。
それならば「後進」どころでなく「停滞」あるいは「収縮」といのが、唯一将来まで生き延びる道なのでは。
毎年1%の成長でも、1.01のn乗というものを考えれば、100年先には2.7倍です。
それだけのものを収める余地は地球にはありません。
「後進」すら拒絶し、「今年と同じことを来年も続ける」
それを続ける社会を作り出す勇気がなければ、いつまでも好景気と恐慌を繰り返しその恐慌の規模がどんどん大きくなっていく恐怖から抜け出せないでしょう。