著者は日中の現代史研究者ですが、紙芝居にも興味があるということで、戦争前後の紙芝居と戦争との関わりも調べています。
戦争期には当時流行の紙芝居を使って、子どもたちに戦争への協力を教え込もうという、「国策紙芝居」というものが作られました。
敗戦時にその多くは焼却されたのですが、いくつか残ったものを掘り起こして著者は研究を進めました。
大学での講義も行なっており、これらの国策紙芝居というものについて、大学生たちに見せてその感想を述べさせるということをしました。
また、その中には韓国人、中国人の留学生も含まれていましたので、彼らの感想も聞くことができました。
紙芝居というものは、戦前の1930年頃に街頭で駄菓子屋を兼ねたものが起こりました。
したがって、ここで取り上げられた国策紙芝居というものは、その流行最先端のものをうまく使ったものと言えます。
ただし、形としては真似たものの、国策紙芝居を運営した側は街頭紙芝居を敵視し、国策紙芝居の上演には街頭は使わないことということが徹底されたそうです。
なにしろ、街頭の紙芝居はハチャメチャでご都合主義のものでしたので、そのような演者が国策紙芝居を演じたら、一発で本当のことが知れ渡ってしまうからでした。
国策紙芝居のすべてが残っているわけではなく、ごく一部のみが残存しているようです。
「フクチャントチョキン」は、当時の人気キャラクター、「フクチャン」を作者の横山隆一自らが紙芝居化し、戦争遂行のために子どもたちも貯金をして軍費に当てさせようとする意図で作られました。
これに対しての学生の感想もありますが、まだこの時点では戦争そのものは描かれておらず、あまり深くを見つめたものはないようです。
「チョコレートと兵隊」になると、父親が戦死した子供を描くという、かなりハードな内容となってきます。
中国戦線に行った父親から、慰問袋にはいっていたチョコレートのおまけ応募券が送られ、それで貰ったチョコレートが届いた日に、父親の戦死が告げられたという内容で、実話に基づく紙芝居だそうです。
この話は、映画化もされており高峰秀子や藤原釜足といった人気俳優も出演するものでヒットしたそうです。
大学生の感想でも、単純に家族愛に感動したというものもありますが、戦争美化であると反発する意見もあります。
また、中韓の留学生たちも戦争中の日本軍の残虐性を聞いてはいてもその兵士たちの家族愛には感動させられてしまいます。
ただし、このような物語が戦争プロパガンダになったということ自体に違和感を感じるという意見もありました。
戦争体験を話すのは、現在では当時は子供で内地で爆撃や原爆などの被害を受けたという人が多く、外地の戦場で敵兵だけでなく民間人も殺したということを話す人はほとんど生き残っていません。
しかし、数十年前でも出征兵士が戦地の出来事を話すということはほとんどありませんでした。
身内の戦争体験は聞きたくないという思いもあるのでしょう。
いつもは優しいおじいさんが、戦地では人を殺したということを話されたら、どういう態度を取ればよいのか。
戦後生まれの人々には、戦争体験はありませんが、「戦争体験を受け継ぐ覚悟」がなければ、直接体験をした人たちから話を聞くことすら難しいことです。
著者も、年上の戦争体験者に話を聞こうとしたものの何も話してくれなかったのは、「自分に戦争体験を受け継ぐ覚悟がなかったことを相手に悟らせた」からだとしています。
なお、敗戦後には今度は「平和紙芝居」と称して戦争の悲惨さを描く紙芝居がいくつも作られました。
しかし、どうやらその製作者たちは「国策紙芝居」の作者とかなり重なっている部分が多かったようです。
また、国策紙芝居の絵をそのまま生かしてセリフだけ変えて戦後に使おうとしたものもありました。
しかし、かなりちぐはぐなものにしかならなかったようです。
私の子供時代にはすでに街頭紙芝居は消えていましたが、まだ学校には残っていて先生が使うということはありました。
あれも、このような歴史の最後に連なるものだったのでしょうか。