著者は江戸時代の歌舞伎を研究対象としているそうですが、それを見ていくとどうしてもその頃の経済というものが話の裏に密接に関わっているのがわかるそうです。
そこで、今回はそのような江戸期の経済と庶民の暮らしといったところに焦点を当ててみることにしました。
江戸時代の経済は米を基本とした米本位制と言えるものでしたが、一方で貨幣経済もどんどんと広がっていきました。
人口の80%以上を占める農民が作った米を幕府や各藩は年貢として取り立てて、自分たちが消費する分は残してそれ以外のものを換金して運営費用としました。
初期は年貢として取り上げる割合が高かったために剰余分は少なかったのですが、生産量が増えると剰余分を換金し消費に回す余裕が生まれます。
人々の購買力・消費力が増すと商品を作る職人や売り買いする商人も増えていきます。
そして、次第に貨幣中心の経済に移行していくのですが、その状況では物の価格は上がっていくのに対し、米の価格だけは低迷し、その結果米の年貢だけが収入であった幕府や各藩の財政は困難になっていきます。
武士の生活が困難になっていき幕末の争乱に至るのも経済的に必然の方向だったのでしょう。
米の生産に余裕ができてくると、それ以外の産物の生産に回る余裕ができてきます。
中世までの衣服は絹と苧麻でした。
しかし、絹の生産は非常に難しいものであったので、庶民の衣服は苧麻(からむし、とあさ)のみでした。
それが、戦国時代に中国から入ってきた木綿の栽培が江戸時代に急速に広がり、庶民の衣服も苧麻に代わって木綿が使われるようになりました。
一方、絹はまだまだ生産技術が伴わなかったために、18世紀前半の享保期までは大量に生糸と絹織物を輸入するようになり、その対価として大量の金銀が流出しました。
ようやく江戸時代も後半になって絹の生産ができるようになり、幕末から明治になると日本国内の重要な生産物となります。
江戸時代の経済を見る上では、このような様々な商品の生産が伸びる時期と、武士や農民の生活を守るとして制限をかける改革の時期とが繰り返されます。
寛政の改革、天保の改革といったものが行われますが、単なる農政への復帰というだけでは矛盾の解決には程遠いものでした。
本書後半では、庶民の暮らし、商人の暮らし、武士の暮らしとして、具体的に金額まであげての収入と支出の解析が為されています。
なかなか金額まで出しての生活感まで感じさせるものとなっており、彼らの苦しさも分かります。
落語などでは、掛取りという年末特有の風習がよく扱われていますが、これはもともとは収入のあるのは年に1度という農民の経済に合わせたところから来ており、武士の俸給も年に一度ということはないにしても、支給は旧暦の2月、5月、10月だけだったそうです。
そのため、買ったものの支払いができるのも年に数回ということになり、そのため通常は買い物は「付け」で買い収入がある時に払うと言うことだったのです。
富裕な大商人というのは、江戸期には何十人も出現しますが、その中で越後屋の三井は明治まで生き残った数少ないものでした。
最先端となる呉服屋を営むということもあり、また現金掛け値なしという営業方針も効果的だったようです。
そして、他の商人たちが没落していった原因となった「大名貸し」を警戒してあまりやらないようにしていたというのも、生き残った理由の一つでした。
各藩の大名たちの財政は逼迫し、商人から借りる「大名貸し」でなんとかつなぐような状況だったのですが、借り手の大名たちは色々な手を使って踏み倒そうとしたようです。
そのために倒産してしまった商人たちが続出しました。
中でも札付きの悪徳大名が肥後細川藩だったそうです。
他にも江戸時代の経済の隅々まで、色々な話が紹介されています。
この本を読んでおけば時代小説を書く場合でもそれほど的はずれなことにはならないかもしれません。