内田さんがある雑誌からインタビューを受け、その時の話に関連して「民主主義」というものの文章を書いて「内田樹の研究室」に掲載しました。
blog.tatsuru.com「民主主義」というものは、太平洋戦争以前には無かったといえるものですが、それが敗戦により一気になだれ込んできました。
その当時の大人はそれでもなんとか民主主義に対応しようと努力したそうです。
内田さんも生まれたときからそういう時代でしたが、内田さんより数年年下の私も小さな頃からそういった時代の雰囲気は感じられました。
しかし、そういった時代もせいぜい1970年頃までだったということです。
そのため、それ以降に生まれ育った現在の50歳以下の人々は、民主主義というものを経験していません。
民主主義というものを具体化しようとしていた当時の人々も、やはり実際の民主主義というものを知らないまま前時代の価値観に頼っていたため、ちょうどその頃に学園紛争というものが起きてしまいました。
それが民主主義の方向性も大きく狂わせてしまったようです。
そして、その間隙をついて巨大化してしまったのが「株式会社化」だそうです。
それ以前の農業社会から高度経済成長にのって多くの人が工業・商業に転換し、その「株式会社」に参加することになりました。
株式会社という組織は、民主主義とは相容れないものであり、まったく「非民主的」なものです。
経営者の上意下達で皆が売上達成に邁進するばかり。
それが、株式会社組織だけでなく日本の他の分野の組織にまで広がってしまいました。
政府というものもまさにその組織の原理に沿って動くようになりました。
トップの思うままに動かし、議論などは存在せず、国会でも多数決で決めるだけ。
民主主義で動かすはずの政党政治が完全に狂ってしまいました。
内田さんは最後にこう締めくくります。
国政が誤ったときこそ全国民がその失政に責任を感じ、挙国的な協力体制を形成しなければならない。そうしないと国の衰微は止まりません。戦況がいいときは、先陣争いをして勢いに乗じてがんがんいけば無計画でもなんとかなりますけれど、後退戦は全員で計画的に戦わなければならない。
そして、できるだけ多くの人がこの失政に責任を感じて、自分が後退戦の主体であると感じるためには、それに先立った、できるだけ多くの人が国策の形成に関与している実感を持つ必要がある。
民主主義というのは、本来そのための制度だと僕は理解しています(今ごろ理解してももう手遅れかも知れませんが)。
まさに今こそ民主主義が必要な時代に差し掛かっているということでしょう。