爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「修道院の歴史 聖アントニオスからイエズス会まで」杉崎泰一郎著

キリスト教修道院、今でも多くのものがあり、修道士という人々が居ます。

仏教でも修行僧という人々がいますので、それと同じような存在かと考えてしまいますが、どうなのでしょうか。

 

キリストの弟子たちが財産を放棄し世俗から離れた生活をしたという伝説が修道士の起こりと言われていますが、実際には250年頃にエジプトに生まれた聖アントニオスの隠遁にその起源がありそうです。

裕福な家庭に生まれたアントニオスは、両親が亡くなった後にその財産を貧しい人々に与えて隠遁し修行や祈り、読書をするようになりました。

その後継者たちが4世紀にはエジプトで多くの修道士となり共同生活をするようになります。

徐々にそこでの規則なども作られていくようになります。

 

6世紀になり、ローマに修道院を開いたベネディクトゥスが、修道士の守るべき規則を「戒律」という書にまとめます。

これが、その後も長い間修道士の規範となります。

その後は、カール大帝やルートヴィヒ敬虔帝による貢献もあり西ヨーロッパでの修道院は発展していきます。

ただし、それは王や貴族とも密接に関わるものであったようです。

 

10世紀には、フランスブルゴーニュクリュニー修道院が開かれます。

非常に強い力を得て発展を続けますが、寄進された所領が増え、また地域の司教たちには属さず教皇に直属するという「免属特権」というものを認められ、さらに力を増していきます。

 

クリュニー修道院が全盛の11世紀には、そのあまりに世俗的権力が増したことに反発し、「戒律」中心の生活をすることを目指すシトー修道院が同じくブルゴーニュ地方に建てられます。

彼らはクリュニーが祈祷中心の活動をして豊かになっていくことに反発し、貧しさの中で厳しい修行をすることを目指しました。

その流れを引く「トラピスト修道院」は現在の日本でも残っています。

 

十字軍の時代には、修道士生活を目指すのではなくキリスト教世界を守るために騎士道を融合させた「騎士修道会」というものが活躍します。

テンプル騎士修道会ヨハネ騎士修道会、チュートン騎士修道会が有名です。

(なお、日本では「騎士団」と呼ぶことが普通です)

「祈る人」と「戦う人」の両面を持つということは、一面では修道院改革運動とも関わるものでした。

十字軍のあとは商業や投資でも利益をあげたために、王などから危険視され攻撃を受けて滅亡させられました。

 

その後もアッシジのフランチェスコによるフランシスコ会、オスマのドミニコによるドミニコ会など、托鉢修道会と呼ばれる一派の活躍もありました。

イエズス会の活動は日本にも及んだためによく聞くところです。

現在に至るまでキリスト教の世界を支えているとも言えるのが修道院というものなのでしょうか。

 

修道院の歴史:聖アントニオスからイエズス会まで (創元世界史ライブラリー)