人を指す人名というものを使い、「弘法麦」や「弥助」といった物事を表す言い方があります。
また、「権助」という名は江戸時代の特定の立場の人に共通の呼び名でした。
他にも「でれすけ」といった、物事を人名になぞらえた「擬人名」というものがあります。
この本ではそういった言葉を集め、その起こりを追いかけてみようとしています。
そこに、庶民の文化が垣間見えるのではないかという狙いです。
歴史上の人名から取られたものは、だいたい江戸時代に作られたものが多いようです。
そこで使われている人名も、江戸時代以降の人の場合はその人が直接・間接に関わったといことがあるようですが、江戸時代より前の人物の名前を付けられている場合は、その人物にまつわる伝説などによって後に付けられたというものです。
弘法麦という、海岸の砂浜に生えるカヤツリグサ科の草は、なぜ「弘法」という名前がついたのかわかりにくいようですが、「根茎の節に繊維が集まって筆の穂先に似ている」ために、書道の名人であった弘法大師の名前をとったのかもしれません。
他にも、「弘法」のつく言葉は多数あります。
喜撰(きせん)とは、茶の銘柄の一つであり、江戸時代には茶そのものを呼ぶこともありました。
これは平安時代初期の歌人で六歌仙の一人でもある喜撰法師の名に由来します。
わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり
という百人一首の歌の作者でもあります。
その「宇治」が茶の名産地であったために、転じて茶そのものを指すようになりました。
なお、幕末のペリー来航のおりに詠まれた狂歌の有名なものに、
泰平の眠りを覚ます蒸気船たった四はいで夜も寝られず
の「蒸気船」は「上喜撰」とかけられているというのは有名な話です。
浄瑠璃というのは、言うまでもなく三味線を伴奏に人形劇として歌われる演芸ですが、もともとは仏教用語です。
これも実は人名であり、「浄瑠璃姫」という女性で牛若丸との恋物語が残されています。
もともとは、その浄瑠璃物語を人形劇として演じたものですが、そのうちに他の演目も浄瑠璃と言うようになったそうです。
備長炭というのは、木炭の中でも高級品ですが、この「備長」も人名からきています。
ただし、紹介者により多少名前の相違があり、
幸田露伴は「備前屋長右衛門」、大槻文彦の大言海でもそうですが、広辞苑では「備後屋長右衛門」、日本国語大辞典では「備中屋長右衛門」となっているそうです。
擬人名とは、ある特徴的な人物などを特徴を捉えた名称で呼ぶというもので、「助兵衛」や「石部金吉」などというものがそれにあたります。
江戸時代にはその一種で「甚助」というものも用いられました。
これは「じんすけ」と読みますが、本当は「腎助」と書くのがその意味からは正統です。
当時の観念では、性欲旺盛なのは腎臓が強いからだと考えられていました。
そのため、そういうものを「腎助」と呼んだそうです。
なお、性欲が無くなってしまうことを「腎虚」と言いますが、これはその反対の状態を指しています。
日本語のバラエティーは江戸時代に飛躍的に発展したということがわかります。