「東大のディープな日本史」という、東大の日本史入試試験を解説した本の第1巻を読み非常に面白かったので、その続巻も読んでみました。
続巻も第1巻と同様の作りとなっており、これまでの東大の日本史の入試問題の中から選んだ問題について、詳細な解説から出題者の意向まで推測するというものになっています。
1984年度の問題では、奈良時代の仏教について、僧行基が最初は朝廷から抑圧されていたのが、その後は重んじられるようになった背景を考えさせるものでした。
当時の聖武天皇は仏教を「鎮護国家」のためのものと位置づけて保護しますが、それは一方では朝廷から統制されるということでもあります。
しかし、税負担の重さから浮浪逃亡する農民が増加し、彼らを救うことを仏教の本来の使命と考えた行基たちは、民間布教を進めていくのですが、それに対し朝廷は敵対視を強めました。
そうした時代背景の中、疫病の流行で藤原不比等の息子4人が相次いで亡くなり、さらに藤原広嗣の乱が起きるなど、社会不安が強まり、聖武天皇は大仏建立を目指すことになります。
そのためには、行基を中心とした仏教集団の動員力と技術力が必要となり、行基を公認しその力を借りるということになります。
2003年度の問題では、南北朝の騒乱がなぜあのように長期にわたり全国で続いたのかを考えさせます。
その背景には、鎌倉時代を通じて拡大していった武士社会の惣領制というものの行き詰まりがありました。
平安時代の武士の誕生から引き続き、その相続は所領の分割相続と、惣領の絶対的親権というものを基盤としていました。
兄弟すべてに所領を分け与える代わりに、惣領という跡継ぎの命令には絶対に従うという体制でした。
しかし、鎌倉時代が進んでいくとそのような分割相続というものも、これ以上はできないと言うほどに所領の細分化が進んでしまいます。
しかも、貨幣経済が発達するために支出が増大し、元寇への対応のためさらに負担が増え、その上恩賞がほとんどもらえなかったということで、多くの武士が困窮してしまいます。
そうしたなかで、分割相続が不可能となったということで、跡取りの嫡子がすべてを相続するという単独相続が一般化してしまいます。
これは、それまでの惣領制というものが解体するということを意味しました。
嫡子以外の男子は、所領も貰えないのに惣領の命令を守ることはできないということになりました。
そのため、血縁で結びついていた武士はそれを離れ自分の利益だけを考えて強い者に従おうとします。
その結果、地縁的結合が重視されるようになり、国人一揆が形成されます。
こういった武士の行動で、一族の中でも一方が北朝につけば一方が南朝につくということになり、南北朝の争乱は全国的に、長く続くことになりました。
2006年度には、琉球が朝貢貿易で栄えたことを問う問題が出ました。
15世紀に統一ができた琉球王国は、ちょうどその頃に成立した中国の明王朝との間に朝貢関係を結びます。
しかし、その頃の明は中国沿岸で猛威を奮っていた倭寇に対するために中国人商人の海外渡航を禁止する海禁政策を取ります。
そのため、明王朝は海外との輸出入が困難となります。
そこで、琉球をその中継貿易に使おうとしたわけです。
琉球は年一回の朝貢を許されるという例外的な厚遇を受け、実に171回の朝貢を繰り返しています。
最初は琉球の産品を明に輸出したのですが、その後は広く東南アジアから物品を集めて明に輸出しました。
しかし、明が北方のモンゴル族侵入や倭寇のために衰退すると、琉球の中継貿易も衰退してしまい、さらにヨーロッパ人の直接進出が重なり、琉球の貿易上の優位性は失われてしまいました。
その後、薩摩の支配下に入った琉球ですが、形の上では中国にも従うという日中両属関係を続けることになります。
いやはや、歴史を深く考えていくと、見えなかったものが見えてくるようです。