江戸時代には本というものが庶民にまで広く普及しました。
彼らがもっとも興味を示したのは、硬い内容のものではなく、笑いあり色恋ありといったものでした。
特に、色事に関わるものは多くの人に愛好されました。
それを書く側も教養ある人々であることが多かったようです。
この本では、そういった文の例を初期の井原西鶴、そして変換点となった平賀源内、さらに大きく普及していった大田南畝、さらに山東京伝などの作品から紹介しています。
音読ははばかられるような無いようなのですが、おそらく今の人たちは聞いても何のことか分からないでしょう。
17世紀半ばから、町人が社会を動かすようになり文化もルネッサンスと言っても良いような勢いを示し、芭蕉、西鶴、近松といった巨匠を生み出しました。
とりわけ、井原西鶴のエロスを伴う市井のスケッチは新鮮でした。
「好色一代男」より
菖蒲葺き重ぬる軒のつま、見越しの柳茂りて木の下闇の夕間暮れ、砌に篠竹の人除けに笹谷縞の帷子、女の隠し道具を掛け捨てながら、菖蒲湯をかかるよしして、中居ぐらゐの女房、我より外には松の声、もし聞かば壁に耳、見る人はあらじと、流れ蓮根の痕をも恥じぬ臍のあたりの垢かき流しなおそれよりそこらも糠袋に乱れてかきわたる湯玉油ぎりてなん。
と書いても何のことかは分からないでしょう。
大田南畝は、漢詩の知識も豊富であったために、それのパロディを作りました。
唐詩選の盧綸の詩をもじり、以下のようなものを書いていますが、やは直接的に過ぎ品がないようです。
陳戈射が臍下の曲を和す
色黒うして雁至って高し
全体、長く心労す
芋茎を取って巻かんと欲すれば
大水陰毛に満つ
やはり、庶民のもっとも興味を持つのはこういった分野なのでしょう。