爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「再読:畜生道の地球」桐生悠々著

この本は蔵書の中の一冊で、以前にも読んで書評を書いていますが、このブログ開設早々のことだったので、まだほとんど読者も居なかったと思います。

sohujojo.hatenablog.comというわけで、著者紹介から何から重複を恐れずに書いていきます。

 

著者の桐生悠々は、大正から昭和初期にかけてのジャーナリスト、現在のそれのように他におもねるだけの名ばかりの者と違い、本当の意味での人です。

 

明治6年金沢の生まれ、本名政次、大阪毎日新聞大阪朝日新聞などに勤めた後、信濃毎日新聞主筆となりますが、そこでは政争に巻き込まれ退社。

その後新愛知新聞に主筆として入社、10年勤めるも退社。

そして、再び信濃毎日新聞主筆として入社します。

その時に書いた記事が、「関東防空大演習を嗤う」です。

昭和8年(1933年)8月に実施された「関東防空大演習」について、厳しく批判した記事ですが、それが信毎新聞に掲載されるや大きな問題となり、悠々は退社を迫られることになります。

その後、名古屋に移りそこで会員制の個人雑誌「他山の石」を発行します。

しかし、そこに書かれた内容は時局の解説や海外論文の紹介にとどまらず、政府や軍部の厳しい批判が多かったため、当局の監視下で発禁、差し押さえ、削除の処分を毎号のように受けることとなります。

そして、昭和16年、「他山の石」誌は廃刊に追い込まれました。

その「廃刊の挨拶状」に、悠々が書いた文章が「小生は寧ろ喜んでこの”超畜生道に堕落しつつある地球”の表面より消え去ることを歓迎致し居候」であり、そこから本書の題名として「畜生道の地球」を取ったものです。

桐生悠々は、その他山の石廃刊の挨拶状が届くとほぼ同じくしてガンにて死去しました。

そのわずか3月後に日本は太平洋戦争を開戦し、悠々の数々の予言通りの道を歩みます。

 

桐生悠々は、海外の諸思想に通じていましたが、自由主義者であり、マルクシズムには批判的でした。

そのため、当時の左翼グループとも対立し、政府や軍部とも対立しと、ほとんど味方のない中での言論活動でしたが、決して筆を曲げることなく書くべきことを書いています。

 

本書では、その「関東防空大演習を嗤う」と、「他山の石」に書かれた文章の抜粋を収録しています。

 

「関東防空大演習を嗤う」については、最近でも言及されることがあるほどですが、その正確な内容は知られているとは言えないかもしれません。

昭和8年に実施された演習は、多くの航空機なども参加した大掛かりなものですが、市街地ではバケツリレーの消火訓練なども実施されました。

そのあたりの意識の低さを問題視したのでしょうか。

帝都東京の上空に敵機が来襲する事態となれば、もはや戦争は負けに決まっており、市街地は焼け野原になるのは確実。

それをバケツリレーで消したところで、爆撃は繰り返されもはや抵抗は不可能となるということです。

後の時代の我々が、日本全国が焼け野原とされた米軍空襲の事実を知っているために、書かれていることも当然のように感じますが、当時は問題記事と見られたのでしょう。

 

「他山の石」の記事も、まさにその事件が起きている時に書かれたということが感じられるものです。

2・26事件も、国家総動員法の国会通過も、独ソ開戦も、我々が学校の歴史で習ったような事実が起きた時に評されているということも新鮮ですが、その厳しい批判精神はそれがどのような時代であったかを考えると、非常に危険極まりないものだったろうと感じさせられます。

 

私にはそんな勇気はない。

ちょっと危なくなるとすぐに書くのを止めてしまうでしょう。

今、政府や首相、アメリカなどを批判しているのも、まだ大丈夫と思っているからかもしれません。

それが、大丈夫で無くなる日が来るかどうか。

 

畜生道の地球 (中公文庫)

畜生道の地球 (中公文庫)