「内田樹の研究室」の今度の記事は、「並行世界について」
夜間飛行というメルマガから単行本化されるそうですが、内田さんと平川克美さんの対談を収めたもののうち、「並行世界」について語っている部分が面白かったので、そこを再録したということです。
これも、販促かな。
まあ良いけど。
「並行世界」というのはSF的な概念ですが、物理学的にも考えられるものです。
今ここにある世界というものは、唯一のものではなく無数の世界が同時進行しており、その中には現実の世界とそっくりだがほんの少しだけ異なっている世界もあるかもしれない。
そして、SF小説の中では何らかの手段を使ってそのほんの少しだけ違った世界に転移してしまうというのが大方のあらすじです。
内田さんがここで語っているのは、「現実世界が唯一無二だと考えるのではなく、少しだけ違った世界はどういうものかを想像してみる能力」についてです。
たとえば、太平洋戦争で1942年のミッドウェー海戦で大負けして海軍の主要船舶を失った時点で講和していたらどういう世界になっただろうかということを想像してみると、どうもそちらの日本が「ほんとうの日本」のように思えてくるそうです。
もちろん、連合国側が素直に応じたかどうかは分かりませんが、海外領土をすべて手放すような条件であれば受けたかもしれない。
そうすれば、ミッドウェーの戦死者3000人を含めてもその時点での戦死者の数万人で済んだかもしれないのです。
さらに、天皇制を中心とした体制は存続できたかもしれず、今のようなひどい占領状態も経験せずに済んだかもしれない。
しかも、戦争責任を自らの力で追求できたかもしれず、戦後の在り方がまったく違ってきただろう、東京の風景も全然違ったものになっただろう、そういった想像をしてみるということです。
そのような「ありえた世界」を想像するというのは、知性の活動の重要な要素であり、さらに「現実の問題点」を考えるのに非常に大きな力になるそうです。
日米開戦時の日本政府や軍部には、アメリカに勝利したらどうしようかということを想像する能力すら無かった。
アメリカを占領して政治体制を変えるのか、そういった空想すらしていなかった。
実際にそうでしょう。
しかし、それができないのであれば、開戦自体が間違いであったのは明らかでした。
ナチスドイツにはそれがあった。「占領して劣等民族は殲滅する」というひどいものでしたが。
アメリカも当然ながらそれを考えていた。
今からでも日本は「あり得たかもしれない世界」を考えること。
それが、現実の世界を考え直すことになりそうです。