著者の三浦さんは共同通信社の記者として長く記者や特派員などを務めた方のようです。
ネット情報の真贋関係なしのひどさや、フェイクニュースの横行にやむにやまれず書かれた本で、若者向けの口調となっています。
情報というものの価値がますます高まっているようですが、それに合わせたかのように情報の真贋が怪しくなり、フェイクニュースという言葉が流行したことも象徴的なように、ニセ情報というものが横行しています。
情報操作ということも増え、危険極まりない状況とも言えます。
著者は長らくジャーナリストとして活躍していた経験から、ジャーナリストの取材と記事の書き方といったところも紹介してます。
ところが、ネット情報が蔓延するにしたがって、これまでのジャーナリズムの存続が危なくなっています。
新聞やテレビと言ったものは、費用もかかりますが、そのかわりにジャーナリストという人々を養成し、彼らが書いたニュースを伝えてきたという役割がありました。
新聞などは軒並み採算が取れなくなり、大きな新聞でも倒産という例が増え、人々の新聞購読も低下を続けています。
若い人などは、「ネットニュースがあるから良い」という感覚でしょうが、単なる噂の伝達に過ぎないものもニュース扱いされるようなレベルであり、信頼性などは得られなくなってしまいました。
犯罪報道での人権擁護、情報源を守るための秘密厳守など、ジャーナリストとしての基本を守ることもできないような素人同然のネット情報が横行してしまいます。
本書副題に「フェイクニュースを見分けるには」とありますが、実際にはここはそれほど大きく扱われてはいません。
最後にちょっとだけ書かれているのは「ニュースに対し自分なりの確認方程式を作ろう」ということです。
自分は憤りなどの感情に任せて情報を選んでいないだろうか。
「こういう考えが正しい」という信念を持った時に異なった意見を避けていないか。
ニュースを読んだとき、その記事の根拠は何か、書いた人間は自分で見たのか引用したのか、引用したとすればその情報源はなにか、その新聞、ニュースサイト、SNSは信用できるものか。
そして、一つのメディアに依存すると一方的見方に偏る心配があるので、「3つの情報源にあたってみよう。そのうち2つが同じことを言っていれば正しいかもしれない」
最後に「世論」という言葉について書かれています。
今は「世論」を「せろん」と「よろん」の2通りの読み方をしていますが、かつては「世論」は「せろん」、そして「輿論」が「よろん」でした。
輿論が漢字制限で書けなくなってから「世論」で2通りに使うようになってしまいましたが、かつては「世論」は「世間一般の感情」、そして「輿論」は「明確な事実をもとに議論を重ねて出来上がった社会的合意」を指すということだったそうです。
「輿論」を無くしてしまったのは、そのような面倒な社会的合意を無くしてしまうということだったのかも。
今の「世論調査」は気分しか測っていないとうのは、京大の佐藤卓己教授の指摘だそうです。
なかなか、的確な指摘が多いと感じました。
人間はだまされる―フェイクニュースを見分けるには (世界をカエル―10代からの羅針盤)
- 作者: 三浦準司
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2017/06/01
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