東日本大震災は2011年3月に発生しました。
現在まで8年経過しましたが、その復興はまだ途上と言わざるを得ません。
しかし、見た目の復興が遅いとは言えなんとか形となっている一方で、被災した人々の生活が元に戻るどころか、苦しさを増している人々も居ます。
著者の岡田さんは東洋経済新報社の記者ですが、大震災発生以降ずっと被災地で取材を続け、復興の手助けが届かない人々の実情を見ているそうです。
本書は震災より4年の2015年の出版ですが、ここに書かれている被災者の苦しみは、今でも決して解消はされていないということを確信します。
口を開けば震災からの復興という言葉が政府や政治家からは出てきますが、それがどこを向いているか、疑問に感じざるを得ません。
2015年までの、「集中復興期間」で25兆円以上の資金が支出されているそうです。
しかし、その多くは被災地とは何の関係もないところで使われ、被災者の生活再建のためにはほとんど使われていないそうです。
岡田さんが被災地取材を続ける中で出会ったのが、宮城県のボランティアグループ「王冠」というところの代表の伊藤健哉さんという方です。
伊藤さんは、仮設住宅にも入らずに「自宅避難」を続けている被災者への支援を続けていたそうです。
仮設住宅に入った被災者は、まだ行政や通常のボランティアなどの視界に入りやすく、援助も届きやすいのですが、辛うじて家が残った人々は仮設住宅に入るわけにも行かず(とはいえ、ほぼ全壊に近い状態の家もあるそうです)自宅での生活を続けました。
震災からしばらくは、物資の流通も途絶えてしまい、救援物資の補給がされている避難所はまだ食料や日用品が入手できたものの、自宅避難の人々にはそれもほとんど届かず食べ物もないという状況になったそうです。
さらに、その後の救援体制でも被災者として扱われることもなく、資金援助や救援金もほとんどなく苦しい状態のままだったとか。
行政に窮状を訴えても能力不足の役所にはどうしようもなく、ほとんど崩れかかった家の中で寝たきりになる人も多かったということです。
また、プレハブ仮設という仮設団地の被災者はまだ居所も分かり生活状況も目に入りやすいのですが、「みなし仮設」という民間アパートなどに入居した人々は行政の支援も及びにくく、また被災地を離れて入居した場合は周囲の理解もほとんどなく、孤立した生活を送っているそうです。
多くの人々は家に被害を受けて避難を余儀なくされたのですが、その当時に罹災証明というものの発行を受けました。
しかし、役所の体制も整わないままに多数の罹災証明発行を行ったために、ひどい被害を受けていても軽い被害であるような証明書しか出されず、その後の支援が受けられないという事例も多数あったようです。
行政の能力不足というものもありますが、法令の硬直的な運用しかできなかったという事例もあり、問題が大きかったところです。
誰もが「被災者」と呼ばれるようになる可能性があるのが日本列島です。
きちんとした復興が行われるような政治であってほしいものです。