「天ぷら」という食物はポルトガル人によって日本にもたらされ、その言葉は「tempero(調味料)」というポルトガル語に由来するといった程度の、食物とその言葉に関する知識は、その辺の普通の辞書などにも書かれていることですが、それがさらに遡るとどうなるか、そんなことが次々と出てくる本です。
というのも、著者のジェラフスキーさんはスタンフォード大学の言語学教授でありながら、世界の料理や食べ物にも詳しいということで、その両方の専門知識をふんだんに持っており、それを駆使した本となっています。
まず、最初は現代のアメリカで、最高級から大衆向けまでさまざまなランクのレストランのメニューというものを見ていきます。
サンフランシスコの最高級レストランでは、最近はメニューというものがありません。
価格の高いレストランでは、どこも「ブラインドコース」を提供するようになってきています。
どうやら値段が高いほど選択の余地が少なくなっているようです。
かつて、1900年代の初頭のアメリカのレストランでは、高級になるほどフランス語がたくさん使われていました。
高価格のレストランでは低価格のそれに比べて5倍以上のフランス語が使われていました。
今ではこのようなことをすると滑稽に見えるだけです。
最近では、メニューの作成者は食材の産地にひどくこだわっているようです。
それも、ある特別の農場の名前まで出しています。「ブルースター農場で、草を食べ放牧されたバイソン」
それよりも顕著なのは、店側が客の食べるものをあらかじめ決めてしまおうという傾向です。
「刺し身おまかせ、シェフのお好み10種」
「前菜の盛り合わせ、シェフの今日のお薦め」
反対に、安いレストランほど客の選択肢が多くなります。
メインの料理を選べるのは当然。
さらに、料理の量(大・中・小)、「お客様のお好みの焼き加減」、「サラダかスープ、お客様のお好きな方」
この「お客様のお好み」が多いほど価格が安いそうです。
「アントレ」という言葉は、国によって意味が相当違っているために困惑を覚える人も居ます。
もちろんこれはフランス語で「入り口」といった意味の言葉ですが、食事の中で使われることも多いのがこの混乱の元になっています。
アメリカでは、このアントレというものは「主菜」を表します。
しかし、フランスやイギリスでは、アメリカ人が前菜(アペタイザー)と呼ぶものを指します。
したがって、フランスのコース料理は、アントレ、主菜(プラ)、デザートからなるのに対し、アメリカでは同じ料理を、アペタイザー、アントレ、デザートと呼びます。
元々、アントレという言葉はフランス語で「入り口」を意味しますので、フランス人などはアメリカ人がどこかでこの言葉の意味を間違えてしまったと考えています。
ところが、歴史的に見ていくと、フランス人のこの考えも誤りであったことが分かります。
アントレという言葉が食事に使われたのは16世紀からですが、その宴会のメニューを見ると、パン、ワイン、「テーブルの入り口(アントレ)」、別のテーブルの入り口、スープ、ロースト、出口という順番で書かれています。
つまり、アントレは食事の最初に出される一品で、複数のアントレが出されることもあった。
14世紀から16世紀頃のフランスにおけるアントレは、ソースのたっぷりかかった肉料理が普通でした。
その後、100年の間にスープの順番が早くなり、1650年頃にはスープが常に最初、その次にアントレが出るようになりました。
ただし、まだソースのかかった肉料理であったようです。
そして、まだすべての料理がテーブルに並べられていました。
それが19世紀になると、ロシア風と呼ばれる方式となり、一度に一皿ずつ客の前に運ばれるようになります。
そこでは、オードブル、スープ、魚、アントレ、小休止(シャーベット、酒など)、ロースト、別の料理、デザートといった料理順になりました。
この時点では、フランス、イギリス、アメリカでも同じような風習を守っていました。
その後、1930年代になって、フランスではアントレという自らの言葉の文字通りの意味(入り口)に影響されて、以前からオードブルやアントルメと言われていた卵や魚介類の軽い料理を意味するようになってしまいます。
つまり、アメリカ人がアントレというものの意味を取り違えたのではなく、フランス人の方が勝手に変えてしまったようです。
ただし、現代のアメリカでは「アントレ」などというものが出るようなコース料理はすっかり下火になってしまっています。
サンフランシスコの著者の自宅の近くの50のレストランを調べたところ、(だいたいがほとんど世界各国の料理店ですが)わずか5店でアントレという文字がメニューにありました。
主にヨーロッパ風アメリカ料理の店で、アジア料理やラテンアメリカ料理店などではまったく見られないのは当然でした。
サンフランシスコでは、世界各国の出身者が集まり、それぞれの故郷の料理を作って食べています。
ペルーの国民食、セビーチェ(魚介類をライムと玉ねぎでマリネにする)
イギリスのフィッシュ・アンド・チップス
日本の天ぷら
スペインのエスカビーチェ
様々な素材をいろいろな調理法で料理しており、まったく似たところもないようですが、これらの料理は実は6世紀のペルシアの王様が好んだ料理から由来しています。
ササン朝ペルシアの王ホスロー1世は、甘酸っぱい牛肉の煮込み料理が好きでした。
これを中世ペルシア語で「シクバージ」と言いました。
レシピはいろいろと残っていますが、いずれにしても具だくさんの牛肉の煮込み料理で、酢と香草で風味付けをするというものでした。
このシクバージが、13世紀のエジプトでは魚料理に変身します。
魚に小麦粉をつけごま油で揚げ、それに酢とはちみつと香辛料で味付けしたソースをかけました。
それが地中海沿岸地方に伝わり、イタリア、フランス、スペインでも魚を揚げた料理として作られました。
それがペルーをピサロが征服してエスカべーチェとして持ち込んだものがペルー人にセビーチェとして伝わり、一方ではポルトガルのイエズス会によって日本に持ち込まれ天ぷらとなったそうです。
アメリカ人がジャンクフード好きで肥満傾向にあることは明らかですが、ジャンクフードの代表のように見えるポテトチップを「健康的食品」と思いたがるアメリカ人も多いようです。
アメリカのスーパーで売っているポテトチップの袋に書いてある文句を見ると、
天然素材だけ、コレステロールフリー、コーシャ認定、
しかも以下を含まない
グルタミン酸ナトリウム、人工着色料、人工香料、保存料、グルテン、トランス脂肪酸
等々
実は、アメリカ人の誰もがポテトチップを健康的な食品とは考えていないのですが、それでもこの滑稽なほどに健康的という主張をしている製品を好むようです。
アメリカの家庭に古くから伝わっていた、ココナッツ・マカルーンという焼き菓子があったのですが、これが最近ではフランス流のマカロンに取って代わりました。
しかし、誰もが感づくように、イタリアのマカロニとも同じ語源のようです。
これも元はイスラム教国に起源があるようで、いろいろな食物がヨーロッパなどに伝わりましたが、その中にラウジーナージというアーモンドの粉を焼いたものがあったそうです。
それが、イスラムとキリスト教の接点であったシチリアやスペインに伝わり、マジパンとなりました。
さらに、アーモンド粉の代わりにシチリア産の硬い小麦の粉が使われるようになりました。
これはお菓子だけでなく、麺として使われるようになり、パスタとなっていきます。
マルコポーロが中国からイタリアにパスタを持ち帰ったという説がありますが、実はその100年以上前からイタリアでは盛んに作られていたようです。
その他、多くの料理、食品などの作り方、味、材料、そしてその名前に至るまで、非常に詳しく書かれているという、興味深い本でした。
ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史
- 作者: ダン・ジュラフスキー,小野木明恵
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/09/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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