内田樹さんが書いている「研究室」、今回は「サル化する世界」と題しています。
「ポピュリズムと民主主義」という題で、某メディアから執筆を頼まれて書いたそうですが、枚数制限があったため短い文章しか渡せなかったので、フルバージョンを自分の「研究室」に残しておくということです。
最初に相手先から受けたお題に文句をつけていますが、「民主主義」というものははっきりとした定義がありますが、「ポピュリズム」には実はそのような明確な定義はないそうです。
最近よく使われていますが、いずれもその書き手が信じる「ポピュリズム」について書いているだけで、どうも少しずつ人によって差が出ているようです。
欧米の政治学の論文では、”ポピュリズムはほぼ例外なく「これまでの秩序を揺るがす不安定なファクター」という意味で使われている。”そうですが、これはちょっと定義とするには大まかすぎるもののようです。
それは「これまでの秩序」というものがそれぞれの文章ごとに違ってきてしまうためです。
しかし、そういった状況を愚かと冷笑する人も居ますが、内田さんはそうではない。
「一意的に定義されていない語」が頻用される場合には、間違いなくそこには「これまでの言葉ではうまく説明できない新しい事態」が発生しているからである。
ということで、その「新しい事態」を説明しなければならない時には有効に活用できるからでしょう。
それをまとめて、個人的な定義として出されているのが「私見によれば、ポピュリズムとは「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という考え方をする人たちが主人公になった歴史的過程のことである。」ということです。
そして、その「今さえ良ければ良い」というのが、例の「朝三暮四」の言葉の元となった説話、つまり「サル」のことでした。
そこで、本文表題に戻り、「サル化する世界」とつながってきます。
つまり、ポピュリズムが横行する世界というのは、サル化した世界ということでしょう。
そして、「サル」と対比される存在が「倫理的な人」です。
まさに、今の世界の政財界で権力を握っている人たちが忘れ去っている「倫理」の話になりました。