爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

こういうものが対策だと言えるのか。大津市保育園児死亡事故現場に金属製柵設置。

交差点での自動車事故のために交差点で信号待ちをしていた保育園児が死亡したという、衝撃的な事故が起きましたが、その対策?として滋賀県は現場に金属製の柵を設置するそうです。

www.kyoto-np.co.jp

これがどういった「対策」か、少し考えれば誰もがおかしいと気づくでしょう。

 

この現場以外に、同様の危険性がある交差点「すべて」にこのような防護柵を設置するのでしょうか。

テレビニュースでは、この柵設置の他に、右折レーンにゼブラゾーンを表示して注意を促すことも行なうとか。

 

まったく、「対策」とも言えないような茶番です。

 

何の対策か、県の安全対策の姿勢を示すだけの「県の報道メディア対策」に過ぎないように見えます。

 

本当の対策とは何か。

少なくともこのような子供などが歩く道路では「絶対に自動車がスピードを出せないような施策を施す」ことが必要でしょう。

さらに、「右折禁止」を大幅に広げることも考えなければなりません。

多くの交差点で右折時に事故が多発しているのは間違いありません。

自動車の使用にはまったく制限をかけることなく、事故を防ぐということは不可能です。

 

「自動車文明」という現代の宗教を守るために、生贄がいつまで必要なのでしょうか。

古代中国の殷や中米古代アステカ文明でも、世界を守るために人間の生贄を天や神に捧げていました。

しかし、この生贄とした人間は奴隷や戦争捕虜でした。

自分たちの家族を生贄とする現代の「自動車文明教」はいったいどういった宗教なのでしょうか。