爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

滋賀県であまりにも悲惨な交通事故。何が本当に悪いのかいい加減に気づいて。

滋賀県大津市で、車同士の衝突でそのまま保育園児に突っ込み、園児や保育士が巻き込まれ園児2人が死亡、多数が負傷という事故が起きました。

 

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私も孫がほぼ同じ年齢でもあり、親御さんや周囲の方々の気持ちを思うと言葉を失います。

 

事故の詳細も徐々に発表されていますが、どちらも中高年の女性の運転する自動車が交差点で衝突、一方の車がコントロールを失いそのまま保育園から散歩に行く途中に信号待ちをしていた園児たちに突っ込んだということです。

 

あまりにも最悪な偶然が重なり園児の生命を奪ったということでしょうが、果たしてそれだけで済むことでしょうか。

 

これまでにも悲惨で不合理な交通事故で、まったく何の落ち度もない人たちが巻き込まれ生命を失ってきましたが、そのたびに、「酔っぱらい運転」であるとか、「無謀なスピード運転」であるとか、「てんかん病の運転手の発作」であるとか、「高齢者の認知症運転」といった原因があげられ、それを防止すると称して取締の強化、高齢者の免許返上などということが進められています。

 

しかし、今回の事故では運転手はまだ認知症には程遠い中年女性、酒を飲んでいるはずもなく、無謀運転をすることもほとんどない人たちです。

そのような人たちでも、わずかな運転ミスで何の罪もない幼児の生命を奪う、それが自動車というものだということです。

 

悲惨な事故を見るたびに、「酔っぱらい」「高齢者」「てんかん病患者」などを運転から遠ざけようとすることばかり声高に言われてきました。

 

しかし、そろそろ事故の本当の原因を考えなければいけないでしょう。

それは「自動車社会」そのものです。

ほとんど歩くことも難しい高齢者でも、ひとたびハンドルを握れば1t以上の鉄塊を時速40km以上で動かすことができるのが自動車です。

それをそのまま生身の人間にぶつければ生命はありません。

 

私はこれまで、このブログでエネルギーの今後の見通しから自動車を自由自在に使える社会はそれほど長くは続かないだろうということを繰り返し申し上げてきました。

しかし、多くの人の生命を守るという意味では、そのような迂遠なことを言っている余裕は無いように感じます。

即刻、車社会を離れて自動車使用を最小限に止めなければ今後も今回のような理不尽な事故で死傷する人をなくすことはできないでしょう。

それで、いくら不便になっても、経済不況になっても、それを選ぶべきだと思いますが。