爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「人はなぜ集団になると怠けるのか 『社会的手抜き』の心理学」釘原直樹著

世の中の仕事や作業というものは、ほとんどが多くの人との共同作業です。

しかし、そこでは1+1=2となることはほとんど無く、大抵の場合はかなり効率が落ちるようです。

そこには「社会的手抜き」という現象が生じます。

様々な要因が関与しますが、やはり自分ばかり頑張るのは損だという意識が現れるようです。

 

なお、著者の釘原さんは社会心理学教育心理学の研究者ですが、この「社会的手抜き」についての執筆を依頼されたものの、心理学界ではこのテーマについてのまとまった学説がないということで、書き上げるには相当苦労されたようです。

その割に、出来上がった本は当たり前のことばかりだったと正直に?あとがきに書かれていました。

 

祭の神輿を担ぐ時、10人居ても力を出しているのは2人、8人はいい加減に担ぎ、2人はぶら下がっているという話もあります。

共同作業で皆が力を出すはずであっても、自分の努力が報われそうもないとか、誰も見ていないから分からないとか、目立たないからサボっても怒られないとか、様々な要因が重なり「手を抜く」ということは、「誰でも覚えがある」はずです。

 

共同作業といっても、2人なら目立ちやすいので手抜きもしにくいでしょうが、5人、10人と増えていくと、「自分がサボっても分からない」ということになり、手抜きをしやすくなります。

 

このような心理的な動きについては、内外問わずにある程度の心理学的実験のデータがかなりあるようで、その機構も分かっているものが多いようです。

社会的手抜きがなぜ発生するか、そこには「個人の努力が評価されない場合」「努力の必要がない場合」「他者に同調する場合」「緊張感の低下」「注意の拡散」といった要因が左右します。

 

ただし、こういった要因は個人によって大差があり、あまり手抜きをしない人、すぐに手抜きする人ということはあるようです。

また、集団の特質によっても異なり、たとえば欧米は個人主義、東洋は集団主義なので東洋では社会的手抜きは少ないのではということもあるようですが、これについては実験結果が様々なようです。

 

大都会の人は冷たいとよく言われますが、これも社会的手抜きと同様のメカニズムによります。

小さい集団では、個人の責任が目立つ場合も多く、だからというわけでもないのでしょうが、困っている人がいれば助けるという行動も多いのですが、都会のように誰に責任があるのかも分からないところでは、他人が困っていても手を出さないということになるようです。

 

組織になった時の無責任という点では、旧日本帝国の軍部の体制はよく例に引かれて批判されますが、太平洋戦争開戦当時のアメリカ軍もそのほとんどが「絶対に日本軍はアメリカを襲わない」と思い込んでおり、ハワイ急襲の危険性が繰り返し伝えられても無視してしまい、真珠湾攻撃前夜も軍高官たちがパーティーをしてしまったということもありました。

どこでもそういった無責任体制に陥ることはあるということなのでしょう。

 

「社会的手抜き」を防ぐためには、という章もありましたが、まあそれは無理でしょう。

そんなに簡単に人間の本性は変えられないと思います。