以前にもその名もずばり「聖書考古学」という、日本人の研究者の方が書かれた本を読みました。
今度は、本場テル・アビブ大学の考古学者フィンケルシュタインさん等の書いたものです。
考古学というものが発達してきた時代の始めの頃から、聖書に書かれたものが考古学で確かめられるかどうかということは、ユダヤ教徒ばかりでなくキリスト教徒にとっても関心事であったようです。
しかし、その始めの頃には聖書に書かれていることには間違いがないと言う信念から、それに考古学的発掘資料を合わせて解釈するということが普通でした。
それに対し、近年の研究者たちは考古学の資料を厳密に調査し解釈するということをしているために、宗教学者や考古学者の一部からは批判されている場合もあるようです。
「聖書ミニマリスト」と呼んでその立場を中傷しているということです。
そのためか、本書の記述も非常に慎重に、配慮をしながら書かれているように感じます。
その点、上記の長谷川さんの記述などは日本から見るという気楽さか、遠慮なく書かれているようです。
本書の場合は、そのためか最初はどういった立場で書かれているのかはっきりとは分からず、もどかしく感じました。
巻末には、これまでの聖書考古学の流れが付録として掲載されていました。
こちらを最初に読んでからの方が分かりやすかったかもしれません。
それでも読みながら徐々に明らかになってきたのは、「聖書の記述にはほとんど考古学的裏付けは取れない」ということを著者は言っているということでした。
「族長の時代」すなわちアブラハムに始まる遊牧民であった当時のユダヤ民族に関して考古学的資料が見つかるとは考えにくいものです。
しかし、それに当たる年代には実はカナンの地には別の民族の都市文化がすでに栄えており、それに出会わずに遊牧を続けているとする聖書の記述は不可能でした。
「出エジプト」が豊富なエジプト側の資料にまったく触れられていないということは以前から分かっていたことですが、シナイ半島に入ってから数十年の間放浪を続けたということもその証拠となる考古学的発見は皆無です。
その後、新しい時代になってからのエジプトとの関係から作り出されたものでしょう。
モーセの後継者ヨシュアに率いられたユダ民族が、かつてアブラハム以下の族長が住んでいた(これも幻想ですが)カナンの地のエリコなどの都市を攻め滅ぼしていくという記述も聖書の中で鮮明な印象を与えられるものですが、その該当する時代の遺跡というものはまったく見つかっていません。
かえって、それを遡る時代の遺跡とそれが破壊された跡も発見されたのですが、それはイスラエルとは関係のない時代とみなされました。
考古学的に確かなところでは、前1200年頃にカナンの地に急激な人口増加が見られるということです。
オリーブとブドウを栽培する農業が発展し、その中心の町が都市化していきました。
それを作り出した人々は、他の地域から侵入してきたのではなさそうです。
つまり、カナンの人々がそのまま発展してイスラエルとなったと見られます。
その後、ダビデとソロモンの時代にイスラエルが栄華を極めるというのが聖書の筋書きですが、これも考古学的発見では何も裏付けする資料は出てきません。
ダビデもソロモンも実在しなかったのではないかと考える人も出てきたのですが、そこでわずかに「ダビデ」と書かれた考古学史料が発掘され、ダビデという王家があったということは確かめられました。
ただし、それがアッシリアとエジプトの間をすべて統治した王朝であったとは言えないようです。
ユダの王国は、紀元前9世紀頃には東のアッシリアの進出により大きく圧迫されます。
アッシリアに従うか、反抗するのか、ユダの内部は争うようになります。
その動きの中で、神「ヤハウェ」に絶対的に従うという人々が出てきます。
彼らがアッシリア服従派と競う中で作り出していったのが聖書に書かれているユダヤ民族の伝説であったようです。
したがって、当時の知識で昔の伝承のように作り上げていったので、歴史的事実との矛盾が多くなりました。
その後、アッシリアは衰退したものの、エジプトの影響が強まり、さらにその後はバビロニアが圧倒してきます。
ユダヤとしての独立は失われますが、それがかえって一つの信仰を作り上げたということのようです。
現実にもまだ大きな力を持つ、ユダヤ教、キリスト教の宗教者たちには届かない話かもしれませんが、かなり分かりやすくなった歴史観のようです。
- 作者: イスラエルフィンケルシュタイン,ニール・アシェルシルバーマン,Israel Finkelstein,Neil Asher Silberman,越後屋朗
- 出版社/メーカー: 教文館
- 発売日: 2009/06/25
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (1件) を見る