終戦記念日といえば「8月15日」というのが当然のように感じますが、実はこの日を第二次大戦の日本戦が終わった日として認識しているところはあまり多くはありません。
それはこの日の意味を考えてみると分かります。
1945年8月15日に、前日にポツダム宣言の受諾を連合国側に伝えたということを踏まえて、昭和天皇が国民にラジオ放送で伝えました。
したがって、その日をもって「終戦」と捉えたのは主に日本国内であり、その他の国や地域では異なるということになります。
例えば、アメリカやイギリス等日本の対戦国では、ポツダム宣言受諾の連絡が日本から来た「8月14日」や、戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印した「9月2日」(あるいは9月3日)を対日戦終戦の日と認識するのが普通です。
さらに、実は日本国内でも沖縄ではすでに沖縄戦が終結しており、アメリカ軍占領下にあったので、8月15日というものはほとんど意識されず、北海道でもソ連軍が攻撃を続けておりそれに対する戦闘が継続していました。
また、当時は日本の植民地であった朝鮮や台湾でもその意味は異なってきます。
こういった各地の事情を、当時の当地の新聞などの資料を元に調査したというのがこの本の元になった研究グループの結果でした。
そもそも、歴史的事実として「8月15日に終わった戦争」というものはありませんでした。
大本営が停戦命令を全軍に出したのは8月16日でした。
それが末端まで行き渡ったのは、海軍で17日、陸軍で18日でした。
ソ連が千島作戦を開始し、日本の守備隊が戦闘を開始したのがまさに8月15日でした。
実際に1945年8月15日に戦争が終わったとホッとした人はほとんど居ませんでした。
それが、8月15日を終戦とする意識改革は徐々に進んでいったのです。
9月2日の「降伏記念日」を徐々に忘れさせるということも隠れた目標であり、1955年の「終戦十周年イベント」あたりから固まってきたようです。
交戦国の中でも、中国はその後の国共内戦が重すぎたために8月15日どころの話ではなくなりました。
北朝鮮は、ソ連が侵攻しそれを「朝鮮解放の戦い」と粉飾したためにこれも別の事情となりました。
東南アジアの各国はイギリスの植民地支配が復活するのかどうかということの方が大問題となりました。
どうやら、8月15日に国民総出で終戦を思うと言う現状は、一回反省することが必要なようです。