爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「令」の字の用法で大切なのを思い出した

元号の「令和」、「令」の字が気になるということは書いてきましたが、その用法で重大なのを思い出しました。

 

巧言令色鮮し仁 です。

もちろん、有名な孔子の言葉をまとめた「論語」の中の言葉です。

 

論語の中でも一番最初の「学而」篇の第3文にあります。

巧言は「巧みな弁舌」、令色は「ゆたかな表情」という意味で、今その言葉から受けるほど悪い意味ではないのですが、論語のこの文章があまりにも有名なため、巧言令色というだけで中味のない形だけの様子といった意味で解されるようになりました。

 

全体としては、「弁舌さわやかに表情たっぷり、そんな人達にいかに本当の人間の乏しいことだろう」という意味に解釈されます。(貝塚茂樹訳注)

 

学而篇のそのすぐ後の第11文には、「有子いわく、礼はこれ和を用いるを貴しとなす」とあります。

第3文から「令」をとり、第11文から「和」を取って「令和」としましたと言っても何ら不思議ではありません。

 

そもそも、一つの言葉の中から続けられた2文字を取って元号とするならば、出典をこれこれと明確に示すことができます。

例えば、鎌倉時代元号で「元亨」というのがありますが、これは中国古典の易経から取ったということは誰が見ても明らかです。

易経のかなり初めに近いところに「元亨利貞」という言葉があり、これ以外の出典は考えられないほどです。

 

また、漢詩では対句の中で韻を踏むということが行なわれることが普通であり、この対句の中の同位置の2文字を取って並べるのであれば、それも明確です。

 

しかし、万葉集の序文の中のこの使用例とされたものも、その原典とみなされる中国古典の文章中でもそのような位置とは言えません。

 

そうならば、「令和」の出典は論語の学而篇だと言っても通らない話ではないということです。

 

元号移行にあと僅かとなりました。

あまりにも簡単に世論誘導される、素直な日本人たちに苦言を呈したくなってしまいました。