「食育」とは、食べること全体について教えるということなのでしょうが、どうもこう唱えている人の中には「伝統的な和食」推進とか、「地産地消」といったことを絡めたいということが多いようです。
こういった風潮に対し、食文化研究家として面白い視点からの指摘をされている著者が、ユーモア混じりに辛口の紹介をしています。
「食べる」ということはまず、生き延びるということでもあります。
そのためには、使える食材を簡単に捨てるのではなく、なんとか活かして食べていくというのも立派な食育かもしれません。
最近では漬物を食べる習慣も薄れていますが、漬物がちょっと古くなると捨ててしまう人も多いようです。
そんなもったいないことをせず、古漬けの食べ方を教えるというのも必要かもしれません。
米食推進というのも、それを提唱する人たちの下心ミエミエというべきでしょうが、「玄米食」を勧める人も居ます。
しかし、「昔は玄米を食べていたから健康だった」というのは事実と違います。
現在の「玄米」とは籾殻を取り除いただけのものを指しますが、このような脱穀方法が取れるようになったのは、1923年にコントロール型脱穀機というものが発明されて以降のことであり、それ以前には土臼でついただけのものでしかなく、現在で言う「七分搗き」だったようです。
さらに、江戸時代には米を多く食べることができたのは上層階級と江戸の市民だけでした。
ただし、江戸といえど今のような流通体制はなく、野菜や魚はごくわずかだけであり、ほとんどは米以外にはわずかな汁と漬物ていどの食事でした。
とても、「健康的」とは言えなかったようです。
「和食推進」ということが特に強調されていますが、この「和食」というものも時代によって変わってきたようです。
江戸時代以前には砂糖などほとんど流通もなく、料理もわずかな甘みのみのものでした。
明治から大正に入る頃には砂糖がどんどんと入ってくるようになり、料理にも大量の砂糖を入れるようになりました。
このころから「和食」と言うものも非常に甘くなっていきます。
大正から昭和にかけての料理レシピを見ると惣菜ではなく「お菓子」を作っているかのようです。
その後、戦争を挟みますがその後も甘さ全盛の料理が復活、和食と言っても甘さ控えめのものなどは無くなってしまいました。
テレビなどでよく流されている番組に「ご長寿さんに聞く食べ物」などというものがあり、あたかも「長寿食」というものがあるように言っていますが、その年齢層の人たちはだいたい皆そういった食事をしていたはずです。
しかし、その生き残ったご長寿さん以外の人はもうすでに死んでしまった。
その人たちにとっては「長寿食」ではなかったんでしょうか。
伝統的な料理というものも、食育のターゲットのようです。
クジラ料理が取り上げられることもありますが、本当に「クジラを食べる伝統」などというものがあったのでしょうか。
クジラは千葉や和歌山などで昔から捕られて食べたという記録はあります。
しかし、それはあくまでも沿岸の漁師町だけの話であり、それ以外の地域にまで流通できるようなものではありませんでした。
クジラが大々的に捕られ、全国に流通したというのは第二次大戦後のわずかな期間だけでした。
この程度のものを「伝統料理」とは言えないでしょう。
さらに、和食のメインとも言える「刺し身」
これも実はごく最近までは沿岸部の人々以外には食べることができないものでした。
言うまでもなく、魚の生食である刺し身は鮮度が悪くては食べられません。
したがって、水揚げ後に運べる範囲がごく近くだけだった昔は、そこでしか食べられないものだったようです。
これは、最近流行の「ジビエ」も同様の問題点といえます。
鹿やイノシシなど、野生動物の害が大きくなり、駆除と称して射殺することが増えていますが、その肉がもったいないからと言ってジビエと称して料理に使おうという動きもあります。
しかし、このような肉というものは射殺後の処理を急がなければなりません。
畜産の食肉は、屠殺場のすぐそばに解体処理施設を置き、屠殺後速やかに解体処理し食肉化するという手順の工程が確立されているからこそ安心して食べることができます。
しかし、野生動物はどこで射殺するかも不定、そこから解体処理施設まで運ぶ時間もどれほどかかるか分かりません。
ただでさえ、どのような寄生動物や感染症があるか分からない野生動物ですから、死亡後に長い時間をかけたものなどかなり危険と言えそうです。
「食育」と言いますが、この本で主張されていることは、大人でもしっかりと考えておくべきことでしょう。