1931年(昭和6年)の満州事変から日中戦争の深みにはまり、さらに各国との戦争に陥って敗戦したという、昭和の前半に時代はよほどの国家主義者でなければ「誤った時代」「軍部の暴走を招き無謀な戦争をした時代」というのが通常の認識でしょう。
しかし、その前の日清・日露戦争までの時代は政治や軍部の指導者もしっかりしていて、国際法なども遵守し、舵取りをきちんとされていて、その結果日本は世界の大国の仲間入りを果たすことができたという、「明治栄光論」とでも言う歴史観が、知識人や評論家・小説家といった人々にも広く行き渡っているようです。
本当にそうだろうか。
というのが、日本近代史とくに朝鮮に関わる問題を専門に研究されてきた著者の中塚さんが提起していることです。
朝鮮を巡る明治史は、多くの部分が隠されておりきちんと認識されていないのではないか。
そういった面を明らかにしても、まだ「明治栄光論」を語れるのか。
明治栄光論は、司馬遼太郎の描く「坂の上の雲」などの小説に典型的に見られるようなものです。
本書では、そのような史観に影響を受けたと見られる人々の論説から見ていきます。
半籐一利、藤原彰、高山岩男、寺島実郎、等々、多くの学者、評論家、さらに政府関係者や外交官など、ほとんどの人が日露戦争以降の軍部主導で戦争に突入した時代を批判しながらも、それ以前の日本は指導者も軍部もきちんとしていたと見なしています。
しかし、このような論議も朝鮮半島や台湾など日本が植民地化した地域を見ていくと崩れていきます。
こういった地域のことは、ほとんどの人が批判的に見る「昭和史」においてはほとんど触れられていません。
明治初年に「征韓論」が唱えられ、その後も日本が欧米から押し付けられた不平等条約をそのまま朝鮮と結び、植民地化の動きをずっと続けていたのですが、そこを問題視する人はあまり居ないようです。
このような朝鮮半島における日本の真の姿が隠されたのは、国際的な問題化を防ぐために当時の政府や軍部によって周到に情報管理がなされたからでもあります。
江華島事件は教科書にも載っている事件ですが、飲料水の補給に寄港した日本軍艦船が攻撃されたと言われています。
しかし、実際はそのような行動はなく、挑発のために近づいたということが当の軍艦の艦長の内部報告には示されています。
その19年後、日清戦争が始まりますが、その状況も一般には朝鮮の独立を助けようとする日本に対し清国が妨害し、それが戦争の始まりだったと言われていますが、実際は開戦の前に日本軍が朝鮮の王宮を占領したことから始まりました。
しかもこれは軍部の独断ではなく、陸奥宗光外相、大島圭介朝鮮駐在公使が計画したものであったというのが真実です。
そこには、軍部の独走を抑えようとする政府の努力もむなしく・・・といった昭和の時代の戦争拡大の構図とはまったく異なるものがあります。
さらに、東学党の乱と言われている農民の蜂起もその制圧などはあまり知られていないもののようです。
王宮を占領し国王を幽閉して日本に従わせようとしたのに対し、朝鮮民衆が抗日運動を起こしたものですが、東学党という宗教団体が清国にあやつられて反乱を起こしたというように矮小化されています。
さらに、この反乱が中国やロシアの目に触れると国際的に問題になるとして、西南部に追い詰めて全滅を図ったのが日本軍部です。
このように、多くの日本人が歴史の健忘症に陥ってしまったかのようです。
やはり起きたことは知っている必要はあるのでしょう。