学生運動が激しく燃え上がった1960年代の最後、大学ばかりでなく高校でもバリケード封鎖などの紛争が起こりました。
その記憶は強いものがあるものの、正確な経緯はすでに風化しているようです。
それを、少し年下の世代ですが多くの人々に取材して教育ジャーナリストの小林さんが残してくれました。
全国各地の高校で燃え上がったような気がしていましたが、特に激しかったのは1969年から1970年の3月までであったそうです。
実は、私が高校に入学したのは1970年の4月でした。
高校紛争が激しかったのは、各地のいわゆる「エリート高」が多かったのですが、私の進学した高校もその一角と言える学校だったのですが、あまりそのような運動は起きなかったようで、当時もほとんどその跡もありませんでした。
しかし、この本を読むと私の進学のほんの少し前に、全国各地で自分より1-2年ほど年長の人たちが激しい闘争をしていたということが良く分かりました。
当時の自分の、あまりにも社会の動きに鈍感であったことに恥ずかしいばかりです。
本書冒頭の導入部は、1969年10月21日、東京都立青山高校でバリケード封鎖が行なわれた状況を描いています。
どこの学校でも同じようで少し違うという闘争の状況があったようです。
その少し前から激しさを増していた大学紛争に影響され、社会や政治状況の矛盾に対する怒りを募らせる一方、高校教育のあまりにも古めかしい形にも不満が吹き出します。
一部の学校ではその当時まだ男子の丸刈り強制などというものも残っており、髪型や服装といったものに対する規制の不満も強いものでした。
とはいえ、この時期に急に燃え上がったというだけではなく、その前段の動きも活発なものでした。
1950年代からの社会の反動化の動きに対し、共産党系やその他の左翼系の政治運動の高校生への波及というものも進み、60年安保にもデモ参加者を出しています。
さらに67年に佐藤栄作首相が南ベトナム訪問に出かける際にそれに反対するデモが羽田空港付近で行なわれ、68年1月に佐世保に空母エンタープライズが寄港するということに対し大規模な反戦運動が起こり、そこにも多くの高校生が参加しました。
そんな中で、68年9月に大阪府立市岡高校で初めての校長室占拠ということが起きました。
さらに、69年1月の東大安田講堂占拠が起きた時にも、多くの高校生がそこに入っていました。
機動隊突入を前に東大全共闘が高校生は帰るように説き伏せたということです。
そして、69年3月の各校の卒業式で、多くの学校で卒業式阻止や卒業証書を破るといった闘争が繰り広げられました。
それから約1年がもっとも闘争の激しかった時期でした。
しかし、学校側の対処も強硬派から柔軟派まで多様であり、地域色が出るものでした。
やはり、地方の方では強硬な対応を取ろうとする校長が多く、問答無用で機動隊導入、首謀者の退学、停学といった例が多かったようです。
大都市の学校では柔軟な対応をするところも多く、うまく?まとめたという例もありました。
また、まだ返還前でしたが沖縄では反米軍闘争にも高校生の参加がありましたが、これには学校も教師も皆参加という例もあり、沖縄の雰囲気を感じさせます。
しかし、70年の卒業式シーズンを前に全国的に事態は沈静化、卒業式でも騒ぎが起きることも殆ど無いままに終わりました。
各校でその後に歴史の節目に「校史」編纂ということをやっているところも多いのですが、その中にこういった「闘争」を記述するかどうかも各校の差が大きいようです。
そこに数十ページを割いて記述するところもあり、数行で終わらせるところもあるようです。
当時の活動家たちは、皆が社会や政治のことについて本当に深く考えていたかというと、そうでもなかったようです。
流行に流されただけであったり、機動隊に立ち向かう姿に憧れただけであったりした人々も多かったようです。
しかし、その後の高校生たちは政治や社会のことを考えることを全くしなくなりました。
あの熱さはなんだったのか、それを無駄にしてしまったのでしょうか。
高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)
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かつての若者たちが、たとえ単なる模倣や憧れ、カッコつけ、背伸びであったとしても、政治や社会を考えようという姿勢を見せていたことは、忘れてはならないと思います。
選挙年齢が18歳に下がり、高校生でも投票ができるようになりましたが、その際の町の声でも「不要」とか「迷惑」といった高校生の意見がありました。
政治を真剣に考えようとしないものは、それにふさわしい扱いしか受けないと言われます。
それにふさわしい自民党安倍政権ということなのでしょう。