爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「家永日本史の検定」遠山茂樹、大江志乃夫編

もうすっかり忘れられているのかもしれませんが、元東京教育大学教授の家永三郎さんが執筆した歴史教科書が当時の文部省による教科書検定で不合格とされ、それに対して家永さんが提訴したという、家永教科書裁判ということがありました。

 

第3次訴訟まで行なわれたのですが、家永さんの敗訴や一部のみの勝訴といった判決といった結末となりました。

 

問題となった教科書は家永氏が1952年から執筆し、そのたびに文部省の教科書検定で不合格や修正をしての合格といったことが続けられ、1963年のものを不合格とされたことで検定制度の不正を訴えることになりました。

1965年に提訴されたものが、第1次訴訟と呼ばれるもので、1974年に東京地裁で家永氏の主張の一部のみを認めたいわゆる高津判決が下されました。

 

この本は、その直後の1976年に歴史学者の遠山さん、大江さんを中心として多くの歴史学者が文部省の検定意見と東京地裁の高津判決の問題点を列挙したものです。

 

現在ではそのようなことがあったということ自体、信じられないほどに右傾化が進んでいます。

その始まりはすでに戦後すぐであったということがよく分かります。

もちろん、その当時の文部省官僚たちは戦前から変わらずに官僚であったはずであり、実は戦後の民主化教育などというものも自ら否定しながら嫌々ながらにやっただけのものだったということです。

 

家永教科書に対して検定として付けられた文部省意見を見れば、その思想の中心となっているのは、かつての皇国史観そのままであることがわかります。

それを、項目別に整理して掲載されています。

万世一系系図を書け」「部落問題は書くな」「女性に生産的役割や経済的独立は不要」「戦争を明るく書け」等々、戦後に言われた言葉とも思えないような内容が続いています。

 

家永さんたちが必死で闘ったのですが、それ以降の惨状はご存知の通りです。

 

家永日本史の検定―歴史学者は批判する (1976年)

家永日本史の検定―歴史学者は批判する (1976年)