新人類、ホモ・サピエンスの誕生から今までの20万年については、色々な本を読んできましたが、それに先立つ霊長類はどのように進化してきたかということについては、あまり知ろうという思いが湧きませんでした。
様々な霊長類の研究をされてこられた著者の島さんが一般向けに新書版で解説されたこの本は、大まかな霊長類の歴史というものを把握していくにはちょうど良いものかもしれません。
新人類やその他の現生人類に近い種がアフリカ大陸で誕生したということから、なんとなくそれ以前の霊長類もアフリカに居たような気がしていましたが、実は多くの種はアフリカ以外の地で過ごしていたようです。
キツネザルやアイアイといった原猿類はマダガスカル島に多いのですが、その多様性も非常に大きなものです。
このような原猿類はマダガスカルで誕生したのか、それともアフリカから海を渡ってやってきたのか、長く論争のたねとなっていました。
アフリカからの渡来説を取る研究者たちは、このような島で多様な種が誕生するはずがないとしたのですが、実はそこには大きな間違いがありました。
1億六千万年前に、マダガスカルを含むレムリア大陸はアフリカから分離し、さらに南極とも分離して孤立した大陸となりました。
8000万年ほど前にはその後インドとなる部分とマダガスカルとは分離し、インドは北上を続けてアジアと接続、マダガスカルはそのまま島であり続けました。
そして、この期間の間マダガスカルもインドもずっと熱帯域にあったことになります。
そのためにマダガスカルでもインドでも多様な生物が進化していきました。
霊長類が生まれたのは9200万年前と言われています。それはまだマダガスカルとインドがつながっているときであり、その子孫は双方で進化し続けました。
その時点ではアフリカはまったくそれらとはつながっておらず、アフリカへの霊長類の進入はかなり遅れたものだったようです。
その次の世代の類人猿、オランウータンなどはアジア南部のその当時から非常に複雑な構造をしていた熱帯雨林で誕生しました。
その頃にはインドネシアやフィリピンの間の海は大陸であり、スンダランドと呼ばれていました。
その広大な熱帯雨林で果実や葉、蕾、小さな種などを食料としてオランウータンは繁栄していきました。
1500万年前から1000万年前までの時期には気候が寒冷化し各地の霊長類は適応できなかったようです。
しかし、寒冷化したことで海峡が干上がり移動が可能となりアフリカにも霊長類が進入することができました。
1000万年前から900万年前までの間の一時的な気候緩和の時期にアフリカでも類人猿が繁栄します。
しかし、再び訪れた寒冷化のために900万年前から600万年前までの間はアフリカから類人猿の証拠は消え失せます。
温暖化の始まる600万年前になり、ようやく再びアフリカに類人猿が復活します。
ゴリラ、チンパンジー、アルディピテクスといった類人猿第3世代が誕生します。
アルディピテクスこそが、ホモ・サピエンスにつながる祖先であり、それがアフリカに居たということです。
そして、420万年前になりようやくアウストラロピテクスがアルディピテクスに代わって登場します。
この時期には、世界の他の地域に居た同じような類人猿はほとんどが死滅してしまいます。
そのために、アウストラロピテクスから進化したホモ属が世界中に進出してしまうことになります。
アウストラロピテクスは初めて直立して二足歩行をしたものと見られます。
さらに、その食生活は従来の果実食から「骨食」に変わりました。
これは、ライオンなどの猛獣が倒して内蔵や肉を食べて残った動物の「骨」を割って骨髄を食べるというものです。
そのために、非常に強い臼歯と石などの道具を使うことを発達させました。
その後、ネアンデルタール人やデニソワ人といった、ほとんど現生人類と同じと言える人類が誕生し、最後にホモ・サピエンスが誕生して世界中に拡散していきました。
近い種類の人類と比べても特徴的なのが、ホモ・サピエンスでは出産間隔が短いということです。
最短で2年、平均でも3.7年で次の子を生むというのは、ゴリラの4年、チンパンジーの5.2年と比べても短いものです。
これを可能にしたのがホモ・サピエンス社会の特殊性であり、生まれた子供たちを母親だけでなく年長の子供、子供の居ない大人、そして老齢者が皆で世話をするという特徴でした。
また、イヌを家畜として一緒に暮らすようになったということも大きかったようです。
本書では、この影響でヒトの脳の重さが減ったと言っています。
それほど依頼しきった生活になったのでしょうか。
あまり知らなかった内容が満載で、驚くほどでした。