爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「岡田英弘著作集Ⅶ 歴史家のまなざし」岡田英弘著

歴史家の岡田英弘さんの著作集を何冊も読んできましたが、その第7巻、歴史関係を対象としたものではなく、それ以外の文章を集めたものです。

 

歴史家として多くの文章を発表し、世の中に知られるようになると、あちこちから様々な題で文を書くことを求められたそうです。

特に1980年代ころには多くの出版社などからの依頼で書いたとか。

その後、家庭の事情や病気のためにそのような依頼が途絶えたので、この本にまとめられたのもほぼ1980年から90年頃に限られるそうです。

 

その内容は、大きくまとめて「家族論、女性論」「時局論」「人物評伝」「紀行・随想」「発言集」「書評」となります。

著者は中国(シナ)歴史の専門家ということで、歴史的な比較という意味からも現代の家族や女性と言うものを昔の中国と論じると言うものが多いようです。

特に、中国では古来、男尊女卑が激しく女性にはほとんど権利も無かったというのが表向きの議論ですが、実際は現代でも昔でも男性の恐妻ぶりはひどいもので、清の末期に多くの留学生が日本にやってきたのですが、その多くが日本女性と結婚し、このような優しい女性は中国には居ないと語っていたそうです。

 

人物評伝のなかで、陶晶孫という人物を取り上げています。

彼は父親が明治末に日本留学をしたために、連れられて子供時代から日本にやってきてそのまま学校を卒業、一時中国に戻ったもののまた来日して日本で亡くなりました。

日本女性と結婚したのですが、その人が郭沫若の夫人と姉妹と言う縁があったそうです。

郭沫若は共産中国建国時に夫人を捨てて中国に戻り、その後は重職を勤めましたが、陶は日本での生活を選び、医者、文学者として生きたそうです。

 

「美術随想」と言う文章の中で、アメリカ人の中国・日本通の人の感想として、「漢人の書は線が硬く力強いが日本人の書はやわらかすぎて骨なし」と聞かされたと言います。

そして、それは中国が長年「科挙」と言う役人選抜試験を行い、それが中国の文化を形作ってきたこと、それが「字を書く」と言うことまで影響したことを明らかにしています。

「印刷したようなきちんとした文字をすごいスピードで書く」ことが科挙で合格するには必須の技術であり、皆がそれを習得したためだとか。

 

司馬遼太郎が「街道をゆく」というシリーズで、モンゴルについても書いていることを批判しています。

司馬が大阪外語学校の蒙古語科を卒業しているために、世間からはモンゴルについての権威のように見られていますが、岡田さんから見ればモンゴル史についての司馬の認識は不勉強としてか言えないとのこと。

その記述も間違いだらけだそうです。

街道をゆくモンゴル」も、モンゴル語に翻訳して出版しようという動きがあるが、そんなことをしたらモンゴル人が日本に失望するのではと。

 

書評のなかで、田代和生と言う人の書いた日朝通交貿易史研究と言う江戸時代の日本と朝鮮の交流に関する研究論文を紹介しています。

対馬藩がその仲介役として大きな役割を果たしたことはよく知られていますが、実はその貿易額は当時としては巨額であったこと、さらに、対馬藩の宗氏は日本の大名であると同時に、朝鮮王から官位を受けていたと言うことも明らかにしています。

すぐれた研究であったのでしょう。

 

本業の歴史学以外に、かなり面白い文章をあちこちに書かれていたようです。