世界はさらにグローバル化を加速させ、その中心である金融資本が富を独占するかのような情勢と感じられます。
しかし、本書によればその一方でこれまでの「権力」と呼ばれる者たちが、軒並みその支配力を失い混沌とした状況になっているということです。
著者のモイセス・ナイムはベネズエラの開発相や世界銀行理事を歴任、その後は外交専門誌の編集長などを務めているという、国際情勢の専門家です。
一時代前の世界は、各界で圧倒的な力を持つ支配権力が存在しました。
政治ではアメリカとソ連の二極体制、軍隊も米軍、ソ連軍などの正規軍。
経済界でも各分野で超大企業が世界市場を支配していました。
さらに、宗教(キリスト教)もカトリック、プロテスタント諸教会。
メディアもテレビネットワーク、大新聞社、大出版社。
そして、労働界もアメリカの労働組合などは強大な力を持っていました。
しかし、そのいずれもがかつての状態とは比べ物にならないほど衰退しています。
ソ連は消滅、アメリカもその後一強体制と言われたものの、ボロボロの状態です。
強大なアメリカ軍も各地の戦闘で勝利することができなくなりました。
「テロとの戦い」と言っていますが、圧倒的に不利な状況となっています。
経済界でもかつての世界規模企業は次々と破綻、そうでなくても新興国の資本に買収されたり、合併されたりと、あっという間に経営主体が変わっても不思議ではありません。
従来の形だけは守られている企業でも、その経営者の在職期間は急激に短くなっています。
さらに、自発的な退職ではなく、解任や迫られての辞任といった例が急増しています。
もはや彼らには権力というものが残っていないかのようです。
政治の分野でも大国の指導者と言えどその権力は落ち続けているようです。
平均の在任期間はどんどんと短縮されていき、また政変による交代も相次いでいます。
このような事態がなぜ起きたのか。
ここにはマイクロパワーと呼ばれる人々が、インターネットなどを武器に超大権力に挑戦し、しばしば勝利を収めるようになったということが大きいようです。
しかし、このような従来の権力の衰退という状態は、チャンスをつかめる期待も広がる一方、安定した治安を失わせることにもなっており、極めて危険な状態とも言えます。
衰退しても差し支えない権力というものもあるようですが、やはり国家と政治というものは守っていかなければ無法状態になりそうです。
政治への関わりは皆が目指さなければならないというのが著者の最後の結論です。
アメリカの覇権が失われ、その代わりに中国が台頭するのかどうかと言われています。
しかし、これも著者にとっては明白なようです。
つまり、中国が代わりの覇権国となるような状況にはなりえないということです。
それ以前に、覇権国という観念そのものが終わってしまうのではないかとしています。
権力というものが衰えつつあるということを前提に、国際関係を考えていかなければならないのでしょう。
金融の集中というものが世界を覆っているという方が真実ではないかという思いがしますが、どうなのでしょうか。
これまでの権力が衰退してしまったというのは間違いないとも感じますが。