著者の会田さんはかなり以前に亡くなってしまっていますが、かつては保守派の論客として有名な方でした。
太平洋戦争に従軍し、連合軍の捕虜となって収容所で過ごし、帰還してからその経験を「アーロン収容所」という本に書いたそうですが、読んだことはありません。
その経験もあってのことか、ヨーロッパ各国が圧倒的に世界を制圧した近代現代というものについてその理由などを考えたようで、本書もその成果の一環です。
そして、欧米が世界制覇した中で日本だけがそれに対抗し得たのはなぜかということについても考察を進めています。本書初版の出版が1966年ですので、高度経済成長真っ只中、その時点ではこのような思考の道筋となったのもやむを得ないことなのかもしれません。
欧米の制覇の直接の理由は、圧倒的な科学技術の進歩です。
特に蒸気機関から始まる移動手段の一足飛びの進歩、火薬や大砲などの兵器の進歩を手段として世界制覇を成し遂げました。
しかし、そのような表面的な成功の影に、「合理主義」というものがあったというのが著者の着眼点です。
科学技術の進歩の萌芽というのは、中世から近世まではかえって中東のアラブ社会や中国の方により数多く存在しました。
しかし、それらの社会ではそういった芽を活かすことはできず、それを受け継いだヨーロッパ社会で花開かすことが可能となり、それが近代の爆発的進歩につながりました。
そこにあるのは、ヨーロッパ社会で生まれ育った「合理主義」だということです。
合理主義というものを一言で言い表わせば「二倍働けば収入も二倍」というものです。
それが可能となったのはヨーロッパだけであり、他の地域ではあまりにも厳しい自然条件のために、神に祈ることしかできなかったとか。
しかし、合理主義を手に入れたヨーロッパでは、個人の力に対しての信頼も生まれ、さらに王や皇帝の圧政のような不合理に対する反抗心も芽生えたとか。
それが、産業革命やそれに伴う社会革命につながっていきました。
そして、合理的な支配手法というのも手に入れたヨーロッパが世界を植民地として支配することにもなったということです。
それでは、なぜ非ヨーロッパ世界の中で「日本だけ」が合理主義を身につけ、欧米諸国に対抗して強国化を成し遂げられたか。
ここが少々分かりにくい記述になっているのですが、様々な不合理な状況に対しても人々の努力で合理的に対応できるようになったということのようです。
ちょっと、この点についてはあまりにもご都合主義の解釈のように見えます。
自然災害によってそれまでの努力が台無しになるなんていうのは、日本は世界でもひどいほうだと思いますが。
それにしても、「アジアでは日本だけが」なんていう感想は、1960年代ならではのことでしょう。
世界中の生産設備がほとんど中国や東南アジアに移ったかのような状況で、アメリカだけでなく日本でも工場労働者の雇用は失われている現代の姿を見たら、会田さんはどのように感じたでしょうか。
1997年に亡くなっているようですので、一応バブル崩壊までは目にしたと思いますが、その後の世界を見ていけば「日本人以外は合理主義を身につけられない」などということは言えなかったでしょう。
この本も最初に読んだのはおそらくかなり若い頃でした。
私も今はともかく、かつては純朴な青年そのもので、こういった本でもそれなりに感動を覚えたものでした。
(なにしろ、あの「日本人とユダヤ人」を読んでも感動したものです)
そこから数十年、よく成長したものです。