爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「節英のすすめ 脱英語依存こそ国際化・グローバル化のカギ!」木村護郎クリストフ著

ちょっと分かりにくい書名ですが、副題の方が解りやすいようです。

英語をうまく使うようにするということが、国際化だと信じ込んでいる人が多いようですが、実は英語依存からできるだけ抜け出すことのほうが重要だということです。

 

その主張は、実に広い視野から世界の実情が捉えられており、英語に習熟すれば国際化といったことを言う人々の意見などまるで幼稚で浅いものと見せるものです。

 

著者の木村さんは、父親が日本人、母親がドイツ人ということで、子供の頃から家庭内ではドイツ語で話していました。

ドイツで少数民族の言語の調査も行い、学会では英語も話しますが、日本語とドイツ語がもっとも上手であるのですが、他にも多くの言語を使えるようです。

なお、この本では著者の主文の他に、著者の妹さんのベリングラート木村園子ドロテアさんが各章末にコラムを書いておられます。これも参考になります。

 

題名の「節英」という言葉は、3.11後によく言われた「節電」からの連想で使われています。

そのため、最初のところは節電に関する記述を導入部としていますが、これも本書の意見を理解しやすくしているのでしょう。

 

そして、3.11から同じような「9.11」へと話が続いていきます。

もちろんこれはニューヨークで起きたテロ事件を指していますが、しかし「9.11」はあの自爆テロの日であるだけではありません。

スペインではその日は「カタルーニャの日」です。

ギリシャで国王を倒したクーデターの日でもあり、チリでアジェンデ大統領が殺されたクーデターの日でもあります。

しかし、アメリカだけならまだしも、日本でも「9.11」と言えばニューヨークテロしか指さないようになってしまいました。

 

これは、アメリカを中心とした英語圏がニュースを「自国化」してしまっているからです。

そして、それが「9.11自爆テロ」を起こした側の問題でもあります。

コミュニケーションが英語化してしまうと、英語を使えない人々は疎外されます。

経済的な一極集中は、英語への一極集中とも言えるものです。

 

「自国化」というものは、情報伝達も歪めてしまいます。

ドイツでは東日本大震災が大きく報道されましたが、その重心は福島原発事故に傾きがちでした。

これは、ドイツで脱原発の動きが強まっていることと密接に関係します。

 

逆に、日本でドイツの脱原発を報道する際は、必ずフランスの原発の電力購入といった話題とセットで表現されます。

自国の人々の興味に合わせるようにしか、海外の出来事は報道されないといえるでしょう。

 

ここで問題なのは、そのような自国化のバイアスの他に、「英語圏バイアス」というものがあることです。

自国の状況の次に大切なのが、英語圏の状況ということです。

これは、英語圏とくにアメリカやイギリスのニュースがまず最初に報道されやすいということです。

さらに、英語圏のニュースが多いというだけでなく、そのニュースの視点も英語圏に偏っているということを忘れてはいけません。

アメリカのニューヨークタイムスが、「もっともグローバルな視点」という言葉を使いました。それが何を指すかといえば「アメリカ経由で世界を見る」ということでした。

それが「グローバル視点」だと、信じ込んでいるのが明らかです。

英語圏=世界」という意識があるのは間違いありません。

 

英語を世界共通語と考えるという意識が多くの人を捉えています。

共通語とななんだろうか。

そこには「共通語で語る事実」と「地元語で語る事実」の違いというものがあります。

著者は、ドイツ東部の少数民族ソルブ人を研究しました。

ソルブ人ソルブ語というチェコなどの系統の言葉を使いますが、周囲はすべてドイツ語なので皆がドイツ語を話すバイリンガルです。

しかし、ソルブ人の中に入りドイツ語で話しかけるときと、ソルブ語で話しかけるときでは相手の答える内容が違うということに気がついたそうです。

それだからこそ、ドイツ語に統一といったことができないということになります。

ソルブ語でしか話せない内容があるから、ソルブ語を守っているのがソルブ人だということです。

 

英語を使う能力を、各国別に調べたというものは多くありますが、そこでの評価基準は英語ネイティブを最高位に、それに近づくほど高得点でだんだんと下がるというものです。

日本は70カ国中30位で、標準的レベルとか。

しかし、ここで測っているレベルは各国でも「特権表現階級」と「中流表現階級」です。

多くの国では「労働者表現階級」は英語なんて知りもしません。

実はそういった階層が世界の人類の大部分を占めています。

英語が国際共通語などといっても、それが通じるのは各国の上層部だけだということです。

 

そこで「節英」を目指すわけですが、それにはいくつもの実施内容があります。

英語を学んでいくにも、日本では「ネイティブ並みを目指す」というのが当然のように思われています。

しかし、それは非常に難しいことであるのは確かですし、さらに「それが妥当かどうか」も問題です。

実は、「ネイティブ並み」の英語話者というのは、非英語話者たちの集まりではかえって邪魔だということです。

著者は世界中からの研究者が集まった会議などに多数出席していますが、そこでは多くの出席者が非英語ネイティブであり、国際共通語としての英語は使うものの、ネイティブ英語は聞き取りにくく、理解できないことも多いようです。

日本人などがたどたどしくしゃべる英語の方が彼らにも聞きやすく解りやすいのだとか。

ネイティブが遠慮なしに早口でしゃべる英語は他の出席者も理解できないということが頻発するそうです。

 

日本人が英語に習熟することを目指す場合に、その目標は「ネイティブ英語」ではなく「国際基準の英語」であるべきだそうです。

 

「節英五ヶ条」として次のものを目指します。

1何をしたいかを明確に

2共通語(国際語)より現地語優先で

3恥ずかしがらずに

4他者の力を借りる

5多様性を尊重する

 

特に、英語ばかりを学ぶより色々な言語、特に近くの国の言語を少しだけでもかじっておくことが必要だとしています。

 

なかなか明確ですっきりとした言語論だったと感じました。

 

節英のすすめ: 脱英語依存こそ国際化・グローバル化対応のカギ

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